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ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ⑤」

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~成長~

年が明けてディープインパクトは4歳になった。
有馬記念での敗戦に意気消沈しながらも、
陣営はすぐに次の目標を立てた。

この年は海外遠征も視野に入っていたため、
ドバイワールドカップもプランに上がったが、
結局は阪神大賞典から天皇賞・春への国内王道路線へと決定した。

夏に引き続き放牧に出すことなく、
自厩舎で緩めることなく調教が積まれていく。

今回は阪神大賞典の1週前に武豊騎手が乗り、
本追い切りは池江敏行調教助手が乗るという、
普段とは逆のローテーションを組んだ。

相変わらず調教で全力を出すことはなかったが、
この傾向は菊花賞からずっと出ているので、
陣営は特に気にすることはなかったものの、
やはり1度負けたことにより馬の心境に変化がないか、
それだけが心配された。

 

そんな中行われた阪神大賞典
9頭という少頭数に、メンバーもデルタブルース
インティライミぐらいで、負けても言い訳できないレースだった。

稍重発表で、強風が吹き荒れる中スタートが切られた。
トウカイトリックが果敢に飛ばして縦に長い展開。
2周目に入っても先頭のトウカイトリックまでの差は20馬身ほど。
3コーナー過ぎあたりから各馬仕掛け始める。
ディープインパクトも馬なりのまま押し上げ、
4コーナー手前で早くも先頭に立つ。

直線の強烈な向かい風で各馬が脚色鈍る中、
ディープインパクト1頭のみがスイスイと走り抜け、
トウカイトリックに3馬身半つける圧勝。

4コーナーでは逃げるトウカイトリックの脚色が明らかに鈍り、
ズルズルと下がっていくかと思われたのだが、ディープインパクト
除いた各馬が直線では逆にトウカイトリックに突き離されるぐらい、
直線はタフなコンディションだった。

それだけに余計にディープインパクトの勝利は印象が強いものだった。
どちらかというと切れ味の印象が強いディープインパクトに、
パワーがついてきた証拠だ。

翌週、武豊騎手はドバイミーティングのいくつかのレースに騎乗するために、
ドバイへ飛んだ。そこで海外の騎手からディープインパクトの質問攻めにあう。
どうやらルメールやペリエが、「日本に直線だけで他馬を抜き去る凄い馬が
いる」という風に言いふらしていたようだ。

さらにこの日のドバイシーマクラシックでルメールが騎乗するハーツクライ
圧勝したことにより、余計にディープインパクトという日本馬に注目が集まった。

阪神大賞典の勝利で再び「最強」へのスタートを切ったディープインパクトは、
古馬の頂点を決めるレース天皇賞・春へと予定通り駒を進める事になった。

 

第133回 天皇賞・春

単勝オッズ1.1倍。
単勝支持率75.3%という相変わらずの圧倒的人気で始まった天皇賞。

このレースでディープインパクトは、自身の競走馬生活の中で1・2を
争うパフォーマンスを見せる事になる。

4枠7番に入ったディープインパクトはゲートが開いた瞬間、
飛び上がるようにスタートを切る。場内のどよめきからレースが始まった。

菊花賞で見せたスパート位置を間違うことなく、
ユックリとした流れにもジックリと構える事が出来た。

2週目に入り、流れはさらにスローになり一団の競馬となってきた。
一塊になった馬群が坂を上り始めたところで、ディープインパクト
馬なりのまま外を捲っていく。あまりのスローにディープインパクト自身が
嫌気をさして自ら動いた感じがした。
武豊も抑えきれない手応えで上がっていくディープインパクトに、
「仕方なし」という感じで無理に手綱を抑えることはしなかった。

競馬場内では驚きと不安が入り混じる歓声が沸きあがる。
京都競馬場名物の3コーナーの坂で仕掛けるのは、
長距離戦においてタブーとされていた。
ここで仕掛けてしまうと、どうしても最後の直線で脚が上がってしまうのだ。
このタブーをおかして天皇賞を勝利したのは
僕が見てきた中では、後述するライスシャワー1頭のみだ。

そんな事を知ってか知らずかディープインパクトは下り坂を利用して、
さらにスピードが上がっていき、4コーナー手前で早くも先頭に。

当然、京都競馬場のタブーを知っている歴戦の騎手達も、
この超ロングスパートを、ディープインパクトが引っかかった為と、
推測して「しめた!!(勝てるチャンスあり)」と色めきたった。
先行集団で脚を貯めていたリンカーンローゼンクロイツも、
ディープインパクトの後ろから仕掛け始め、ディープインパクトの脚が
上がったところを最後に交わす作戦に出る。

直線に入ってディープインパクトと2番手リンカーンとの差は2馬身ほど。
一瞬差が詰まったように見え、リンカーン鞍上の横山典の作戦は的中したかに見えた。
だが、ディープインパクトの脚色は衰えることはなかった。
むしろ脚が上がったのはリンカーンの方だった。

2着とはいえ、3着ストラタジェムに5馬身の差をつけたリンカーン
本来なら十分天皇賞馬になりえた存在だ。
レース後、横山典騎手は

「生まれた時代が悪かった。」

リンカーンを慰めるように声をかけた。

ターフビジョンで勝利を確信した武豊は、手綱を緩め最後は流してのゴール。
タイムは3.13.4。マヤノトップガンがマークした3.14.4のレコードを1秒更新。
上り3ハロン33.5。驚くべきはラスト1000mのラップタイムが57.5。
残り1000mの時点で先頭とディープインパクトは1秒の差がついている。
つまりディープインパクト自身はラスト1000mを56.5ぐらいで走り抜いたわけだ。
2013年現在、コーナーのある1000mのレースでのレコード記録が、
オギティファニーが札幌競馬場で行われたキーンランドカップ(OP)で
2着に2馬身半をつけ圧勝した時にマークした56.5だ。
つまり、ディープインパクトは2200mを走り切った後、
1000m戦でも完勝するぐらいのレースをしたことになる。
これでは他馬も、たまったもんではない。

過去この超ロングスパートをして成功したのはライスシャワー(’95)のみ。
(詳しくは『ライスシャワー 「孤高のラストステイヤー⑤」』
力が衰えていたライスシャワーでは正攻法では勝てないと考えた的場均騎手の、
一世一代の賭けだったロングスパートなのに対し、
ディープインパクトは、他馬との力が違いすぎる為のロングスパートだった。

「世界にこれ以上強い馬がいるのかなと、正直思いますよね。」

世界を知り尽くしている上に、慎重な発言が多い武豊でさえ、
このように語るように、ディープインパクトの強さは際立っていた。

3歳時よりさらに強くなってきているディープインパクトが、
鞍上自身の『夢』を叶える存在になってきたことに興奮を隠しきれなかった。

 

衝撃の天皇賞・春の1週間後、宝塚記念から凱旋門賞への挑戦が発表された。

凱旋門賞は競馬界の世界1決定戦。
全ホースマンの夢の舞台であり、これまで何度も海外に遠征している武豊も、
このレースを勝利することが夢の1つであった。
武豊は’94年のホワイトマズル(6着)、’01年のサガシティ(3着)と
2回凱旋門賞に挑戦しているが、日本馬での挑戦は初めてだった。

なんにしろ、凱旋門賞の前に宝塚記念で国内最強を
改めて証明しなければならなかった。

 

第47回 宝塚記念

この年の宝塚記念は阪神競馬場が改修工事中ということもあり、
京都競馬場で行われることになった。
これまでのパフォーマンスから京都競馬場が1番走りやすいと
思われていたため、このコース替わりは追い風だった。

ただ、朝から降り続ける雨で馬場が悪化して、
本番の11Rが始まるころには稍重発表となっていた。
稍重といっても、かなり水分を含んでいたため、
「重」に近い「稍重」だった。
これまで阪神大賞典を除くすべてのレースで良馬場で
競馬をしてきたディープインパクトにとって、
馬場が悪化した雨の中のレースは初めてだった。

いつものポジションにつけたディープインパクトは、
ユッタリとした流れに折り合っていた。
3コーナーを過ぎたあたりから徐々に進出を始め、
4コーナー手前で武豊がゴーサインを出すと、
ココでも他馬とはまるで違う走りを見せて直線へ。
内で逃げ粘るバランスオブゲームを、大外から抜き去り、
2着ナリタセンチュリーに4馬身差をつけて圧勝。

リンカーンコスモバルクなど他の人気馬が、
馬場に足を取られ大敗していく中、
ディープインパクトは、我関せずと言わんばかりの走りを見せた。

一般的に欧州の芝は丈が長く水分を含む事が多い。
今回の宝塚記念で好走できたことは、陣営にとっても遠征に向けて、
大きな自身となった。

レース後、戻ってきたディープインパクトは泥んこになりながらも、
すぐに息も入り、まるで少し強めの調教をしてきただけかのような状態だった。

 

どんどん強くなるディープインパクト
GⅠ5勝の勲章を携えて、フランス・ロンシャンへと向かう事になる。

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<参考文献>

『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』

 

 

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