イメージ画像

トウカイテイオー 「受け継がれる想い①」

トウカイテイオー列伝を書くにあたって、
題名作りに悩みました。

「皇帝の仔」「奇跡の勝利」「ガラスの脚」

この名馬を表現する言葉はいくつもある。

しかし、僕がこの馬を表現する言葉として選んだのは、

「馬と馬、人と人、馬と人」

この繋がりだと思いました。

では、名馬トウカテイオーが、
どのように、その波乱万丈の競争生活を送ってきたか見ていきます。

 

~出生~

昭和63年4月、競馬界ではクラシック戦線真っ只中だったが、
この年はいつもと様相が違っていた。

本来その年の主役になるはずのクラシック出走馬よりも、
地方から移籍してきた1頭の葦毛の若武者に、
世間の注目は集まっていたのだ。
(詳しくは「オグリキャップ列伝」

今年は何かが起こる。
そんな雰囲気の中、北海道の長浜牧場で1頭の馬が産声をあげた。

父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラル。

紆余曲折がありながら生まれた、この幼駒が後のトウカイテイオーである。

シンボリルドルフは、史上初めて無敗で3冠を達成し、
実にGⅠ7勝を挙げ、今なお史上最強馬の呼び声名高い名馬中の名馬。

かたやトウカイナチュラルはレースに1度も出走する事が無かった牝馬。

本来なら、もっと現役成績が良い繁殖牝馬にあてがわれるべき、
シンボリルドルフを、どうしてこの未出走だった牝馬になったのか、
それをまず語ろうと思う。

 

時をさかのぼり昭和42年。
大阪で会社を経営し「トウカイ」の名で知られた内村正則が、
取引先の相手で趣味仲間の馬主とともに、北海道の田中牧場に、
若駒を見に行った。

放牧地を元気に走り回る若駒に、爽快感を感じていたところ、
ふと、馬房で1頭だけポツンとつながれている馬が目に入った。

「なぜ、この馬だけ放牧されていないのだろうか」

疑問に思った内村は、場長の田中に聞いてみたところ、
脚を怪我したため休ませている、との事だった。
セリに出す予定だったのだが、この怪我で取りやめになったとも聞いた。

内村は、この元気なく佇む若駒に一種の同情に似た感覚を覚えた。
この先買い手がつかなければ、何のために生まれてきたのか分からない。

「私が買いましょう。」

とっさに出た言葉だった。

本当は別の馬を買う予定だったのだが、
自ら「お人好し」と自負する性格から、これも運命だと割り切った。
なにより、内村は出会いを大事にする人だった。

トウカイクインと名付けられたその若駒は、
当時の故障し寂しく佇んでいた姿が嘘かのように、
デビューから引退するまで56戦(6勝)も走り抜いた。

 

余談ではあるが、トウカイクインの曾祖母は、
史上初めて牝馬でダービーを制したヒサトモであった。
これ以降(2013年現在)、牝馬でダービーを制したのは
3頭のみなので、その偉業が分かる。

その名牝ヒサトモは、戦時中・体調不良などで
引退後の10年間でわずか4頭しか子を残せなかった。
そして戦後の競馬復興をかけ16歳の時に地方競馬で現役復帰。
しかし、5戦を消化した所で心臓麻痺により死亡。

結局、ヒサトモが残した子供4頭だけとなり、
その内牝馬はブリューリボンの1頭だけだった。
種牡馬となった第3子のヒサトマンは後が続かず、
血が途絶えたため、ヒサトモの血を残すのは牝系のみとなった。

そのブリューリボンの子孫も目立った成績は残すことが出来ず、
ヒサトモの系統は消滅寸前だったのです。

そのブリューリボンの孫の1頭がトウカイクイン。
トウカイクインが6勝あげたのをきっかけに、
内村はこの一連の流れを知り、なんとしても名牝ヒサトモの血を
絶やしてはならないと感じ、ヒサトモの子孫を次々に購買。
その系統を保護していくことになった。

結果、消えかけたヒサトモの血は現在もなお受け継がれていくことになる。

余談が長くなったが、内村の人となりが分かるエピソードである。

 

そのトウカイクインは引退後9頭の子供を残した。
どの馬も目立った成績は残さなかったものの、
4頭の牝馬を生んだことにより、前述のヒサトモの血を
残すという役割は十分に果たしたともいえる。

その4頭の内の1頭がトウカイミドリだった。

現役成績自体は4戦1勝という平凡な成績に終わったが、
名種牡馬ブレイヴェストローマントとの子供がトウカイローマン
この馬が昭和59年5月のオークスで、1番人気ダイアナソロン
下して3歳牝馬の頂点に立ったのだ。

内村にとっても初めてのGⅠ勝利をもたらした。

そのオークスの翌週のダービーでシンボリルドルフが、
無敗のまま3歳の頂点に立つことになった。
その圧倒的な強さを目の当たりにした内村は、
将来トウカイローマンとシンボリルドルフを掛け合わせることを、
決心するのだった。

トウカイローマンはオークス勝利後、なかなか勝つ事が出来ず、
年齢も6歳を迎えていて、オープンレースでさえ5着が
精一杯の状況だった。

「引退」の言葉がよぎるのは当然で、次走の新潟大賞典(5月)を
引退レースにすることを陣営は決めた。
ここで引退すれば、ギリギリ繁殖シーズンに間に合う。

そんな思いの中、新潟大賞典が行われたのだが、
なんとトウカイローマンは2着に入ったのだ。

惨敗すれば力の衰えで予定通り引退。
勝利すれば気持ちよく予定通り引退。

このように考えていた陣営は2着という着順に迷った。

「もう一花咲かせることができるのでは。」

トウカイローマンの現役続行が決まった。
結果、後に京都大賞典を勝利することになるので、
この判断は正しかったことになる。(武豊の重賞初勝利でもある。)

そうなると、別の問題が発生した。

 

かねてからトウカイローマンに交配するために
購入していたシンボリルドルフの種付権である。

この種付権を無為にするわけにもいかないため、
ローマンの1つ下の妹であるトウカイナチュラルに白羽の矢が立った。

トウカイナチュラルはナイスダンサー産駒。
姉ローマンとは違い、一度もレースに出走することはなかった。

そのナチュラルの2番目の子供としてシンボリルドルフとの子が誕生した。

内村は思った。

「自分の馬は、現役で活躍しない方が良い仔を生む傾向がある。」
「この仔馬も将来、活躍してくれるかもしれない。」

鹿毛の馬体に、鼻から額に賭けて白く伸びる流星模様

「皇帝」と言われた父にちなみ、「帝王」の文字を取り、
トウカイテイオーと名付けられた馬は、
このように、紆余曲折がありながら出生したのだ。

 

● → 第2話

<参考文献>

『水晶の脚 トウカイテイオー』著:瀬戸慎一郎
『名馬列伝 トウカイテイオー』出版:光栄出版部
『トウカイテイオー 帝王・栄光の奇跡』DVD

 

 

関連記事

コメントを残す

サブコンテンツ

プロフィール

【k-wind】 競馬を楽しんで10数年。オグリキャップから始まり、 ライスシャワー、ディープインパクトと、 大好きな馬は数知れず。「競馬の魅力とは」 このテーマを日々考えている30代牡です。

メルマガ会員募集中

ランキング


にほんブログ村 競馬ブログへ

競馬ランキング&競馬情報検索エンジン 競馬サーチ.com

にほんブログ村

このページの先頭へ