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トウカイテイオー 「受け継がれる想い②」

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幼駒時代

幼少期のトウカイテイオーは華奢な馬体から、
お世辞にも将来GⅠを勝つような馬には見えなかった。

いくらシンボリルドルフの子供と言えど、
家族だけでコツコツと小さな牧場を営んできた長浜牧場では、
これまでGⅠどころか重賞を勝つ馬を生産したこともなく、
当然注目度も低く、余計にトウカイテイオーの評価は低く思えた。

しかし、ここでトウカイテイオーの非凡さを垣間見せる出来事が起こる。

あるとき、放牧地にいるはずのテイオーが牧柵の向こう側にいるのだ。
やんちゃ盛りのこの時期の幼駒は、たびたび牧柵を飛び越える事があるのだが、
たいていは、着地に失敗したり、柵に引っかかったりで怪我をするものだ。

しかしテイオーはまったくの無傷だった。
類いまれなる体の柔軟性がもたらす結果だった。

テイオーは二風谷軽種馬共同センターへ移され、
レースに出走するための調教が科されることになった。

ここでもセンター長の岡本は、テイオーの非凡さを感じ取っていた。

繋が異常に軟らかいのだ。
歩いていて球節が地面につくのではないかと思うぐらい、
繋が軟らかかった。

しかし、それは故障の危険性もはらんでいるために、
強い調教を課しても大丈夫なのか不安になった。

だが、それも杞憂だった。

クッション性の良い車に例えるぐらいの乗り心地で、
フットワークも全身バネのような動きを見せた。

調教を重ねるごとにテイオーは抜群の動きを見せ始め、
岡本に確かな手ごたえを感じさせた。

「東(ダービー)へ行けますか?」という内村の言葉に、
岡本は力強く「行けます。」と答えた。

 

デビューからの快進撃

10月。
テイオ-は2歳になり、いよいよ松元厩舎に入厩することになった。

松本省一
父の松本正雄厩舎で修業を積み、1976年に開業。
ここまでローベルギフトで小倉大賞典(GⅢ)を勝利していたものの、
GⅠとは無縁の厩舎だった。

その松本厩舎に、内村が期待するテイオーをなぜ預ける事になったのか。

もちろん、テイオーの母トウカイナチュラルを預かっていたことが1番だ。
しかし、それ以前から内村と松本には繋がりがあった。

昭和50年代後半、内村は2頭の競争馬を松本に預ける予定だった。
しかし、馬房の関係で1頭しか預かる事が出来なかった。
そこで中村均調教師に相談の上、内村の了承を得て1頭を
中村厩舎に預ける事になった。

そこで、どちらを預かるかということになったのだが、
松本は「良い方を中村さんが預かってください」と申し出た。

そして中村厩舎に入厩したのがトウカイローマンだった。

松元が預かったトウカイマリーも4勝を挙げたのだが、
GⅠ馬トウカイローマンとの差は歴然だった。

そして、当初ローマンの妹であるトウカイナチュラルも、
中村厩舎に預ける予定だったのだが、「脚が弱そう」という理由で、
中村から断わりが入り、結果松本厩舎に入厩することになった。

中村の見立て通り結局トウカイナチュラルは脚元が原因で
未出走のまま引退したわけだが。

そんなハズレくじを2度引いてしまった松元に対する、
内村なりの恩返しのつもりでもあった。

 

松元厩舎に入厩したトウカイテイオーは、調教が積まれるごとに
厩舎内の評価がうなぎ上りとなった。

厩舎内だけでなく、トレセン全体にもジワリと評判が上がっていたころ、
調教でトウカイテイオーにまたがるため1人の騎手が訪れた。

安田隆行
当時38歳になり、すでにベテランの域に達していたフリー騎手である。
フリーといっても、「つながり」を大事にする安田は、
積極的に各厩舎に出向いて調教の申し入れをし続けていた。

2度の落馬事故(レース中、調教中)で、足の神経を痛めてしまい、
手術をうけても完全に回復することはなかったのだが、
それでも騎手を続けてこれたのは、こういった「つながり」を
大事にしてきた安田の人柄に対して、周りの人々が応えてくれたためだ。

しかし、安田自身このまま騎手を続けるのに不安を感じているのは
言うまでもなく、安定した生活を得る為に調教師を目指す決心をしていた。

そん中、トウカイテイオーに跨った安田は、
前評判通りのテイオーの乗り味に、
若かりし頃の野望に似た思いが、蘇ってきた。

「この馬なら」

松元は、トウカイテイオーのデビュー戦に安田を指名した。
実は安田が調教中に落馬した際に乗っていた馬は松元厩舎の馬だった。
そんな負い目か、早くからテイオーには安田を乗せる事に決めていた。

安田自身も、松元のそんな親心に報いたい為に
「ぜひお願いします。」
と即答だった。

こうして、デビュー来クラシック等華々しい舞台とは無縁だったが、
小倉・中京などのローカル場所でコツコツと実績を積んできたベテラン騎手に、
トウカイテイオーは任されることになった。

1990年12月1日中京競馬場・新馬戦(芝1800m)
馬場は前日からの雨で不良馬場になっていた。

2.6倍の1番人気に推されたトウカイテイオーは
13頭立ての2番枠からスタートした。

綺麗な飛び(走り方)をするトウカイテイオーは、
湿った馬場に脚を取られることもあったが、
直線入り口で、外に出したところからは独走だった。

「今日は馬に勝たせてもらった。」

スタートで少し出遅れたためポジション取りが悪くなり、
道中やや窮屈になった為、馬群でもまれるシーンがあった。
「普通に走れば楽に勝てる。」
出来るだけダメージを残さず勝たせようと思っていただけに、
これは誤算だった。

それでも圧勝だったトウカイテイオーの強さに脱帽だった。

 

2戦目は新馬戦から3週後のシクラメンステークス(京都芝2000m)

1戦1勝馬だけに、このレースは3番人気だった。
1番人気は前走でエリカ賞(500万下)を圧勝したイイデサターン

しかし、レースは好スタートから一旦は中団に下げ、
4コーナーから仕掛け始めたトウカイテイオーの楽勝だった。

この2歳馬離れしたレース振りに、
ようやく世間の評価も、クラシックの主役が現れたことに気付き始めた。

 

年が明けて1991年1月19日、若駒ステークス(京都芝2000m)

ここでもトウカイテイオーは2着イイデサターンに
2馬身半の差をつけて楽勝した。

この時の2~5着馬だったイイデサターンナイスネイチャ
シンホリスキーミスタースペインがそれぞれ後に重賞馬になることから、
余計にトウカイテイオーの強さが際立つことになる。

 

4戦目は皐月賞の前哨戦の若葉ステークス(中山芝2000)である。

1.2倍の圧倒的1番人気に推されたトウカイテイオーは、
超スローペースで、道中引っかかりっぱなしだった。
こういった場合、相当スタミナがロスしていてもおかしくないのだが、
直線では事もなげに圧勝。

ただただテイオーの強さだけが際立ったレースだった。

 

こうして圧勝続きで4戦4勝。
父シンボリルドルフと同様に
無敗のままクラシック1冠目皐月賞へと向かう事になった。

 

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<参考文献>

『水晶の脚 トウカイテイオー』著:瀬戸慎一郎
『名馬列伝 トウカイテイオー』出版:光栄出版部
『トウカイテイオー 帝王・栄光の奇跡』DVD

 

 

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プロフィール

【k-wind】 競馬を楽しんで10数年。オグリキャップから始まり、 ライスシャワー、ディープインパクトと、 大好きな馬は数知れず。「競馬の魅力とは」 このテーマを日々考えている30代牡です。

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