イソノルーブル、ダイユウサク、マチカネタンホイザ逝く。
相次いで、懐かしくも悲しいお知らせが。
1991年のオークス(GI)を制したイソノルーブル(牝25)が12月7日(土)、
余生を送っていた北海道浦河の村下農場で老衰のため死亡した。
~ラジオNIKKEIより~
イソノルーブルは現在の阪神JFの前身であるラジオたんぱ杯3歳牝馬Sで、
スカーレットブーケやミルフォードスルーなどの重賞馬を退け重賞初制覇。
デビューから報知杯4歳牝馬特別まで圧巻の5連勝。
新馬戦を除いてすべてのレースを逃げての圧勝劇でした。
報知杯4歳牝馬特別からデビューから手綱をとっていた五十嵐忠男に変わり、
若手のホープ松永幹夫が騎乗することになる。
スカーレットブーケ、ミルフォードスルー、ノーザンドライバー、
シスタートウショウと、牡馬をも退ける高レベルな牝馬が
揃った中で行われた桜花賞では1番人気に推されるも、
落鉄などもありシスタートウショウの5着に敗れる。
(イソノルーブル落鉄事件)
続いてオークスに出走も、1番人気はシスタートウショウに代わり、
逃げ馬には不利な大外20番枠からのスタートになった。
しかしマークが緩んだことでスローな流れを作り出すことができ、
直線でのシスタートウショウの猛追をわずかに退け優勝。
松永幹夫にとっても初めてのGⅠ制覇で、
後に「牝馬の松永」と言われる最初の一歩でした。
エリザベス女王杯では故障も発生し16着と大敗。
そのまま引退することになりました。
繁殖後は、ライバルだったスカーレットブーケやシスタートウショウのように、
活躍馬を産むことは残念ながらできませんでした。
2013年12月7日に繋養先だった浦賀町村下農場で、老衰のため死亡。
以前から患っていた蹄葉炎が悪化したとも伝えられています。
1991年5月19日 優駿牝馬
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1991年の有馬記念(GI)を制したダイユウサク(牡28)が、
12月8日(日)に繋養先のうらかわ優駿ビレッジ「AERU」で老衰のため死亡した。
~ラジオNIKKEIより~
奇しくもイソノルーブルが活躍した年の1991年の年末に、
世間をアッと言わせた大金星を挙げたダイユウサクが死亡しました。
ダイユウサクに関しては、
大穴列伝「コレはビックリ ダイユウサク」
に書いていますので、そちらをどうぞ。
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1993年の目黒記念等の優勝馬のマチカネタンホイザ(牡24)が
2013年12月に死亡したとの連絡がありました
~JAIRS_JPより~
イソノルーブルとダイユウサクが世間を賑わした1991年にデビュー。
デビュー戦を圧勝後、府中3歳Sを勝利し挑んだ朝日杯3歳Sでは、
ミホノブルボンの4着。
その後、勝ち星には恵まれないものの岡部幸雄を鞍上に、
堅実に上位に入着。ただし、世代最強ミホノブルボンのはるか後方で
せめぎあう多くの1頭でしかなかった。
そんな中行われた菊花賞でその素質を開花。
マチカネタンホイザ以上の素質を開花したライスシャワーには敗れたが、
影も踏めなかったミホノブルボンに頭差迫る事が出来た。
その後、ダイヤモンドSで重賞初制覇、目黒記念も勝利し、
中長距離戦線での名脇役となる。
(目黒記念ではライスシャワーを破っている)
1994年のジャパンカップでは鼻出血で競争除外、
続く有馬記念では蕁麻疹を発症し出走取消、
(蕁麻疹は飼葉に紛れ込んだ蜘蛛を食べたためという話がある)
翌年もフレグモーネを発症したりと、
ライバル面でも健康面でも、何かとついてない馬でしたが、
なにか晴れやかな主役ではない、人間味あふれる馬だったように思います。
1992年11月8日 菊花賞
今年はトウカイテイオーについてもですが、
「1991年」と関わる名馬が逝くことが多い年となりました。
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