エイシンワシントン、死亡
<2014年7月8日>
1994年~1996年にかけて短距離戦で無類の強さを見せながらも、
GⅠにほんのわずかに届かなかったエイシンワシントンが、
功労馬として繋養されているホーストラストにて骨折により予後不良。
安楽死処分がとられました。23歳でした。
~ホーストラスト facebook 参照~
エイシンワシントンはアメリカ生まれのオジジアン産駒。
オジジアンは2歳時に3戦3勝でGⅠフューツリティS(ダ6.5ハロン)を
9馬身差の圧勝した馬。
母父シャムは米国3冠すべてのレースでセクレタリアトに挑み続けた悲運の名馬。
(振り返ればエイシンプレストンはシャムの運命に似たのかなぁ・・・。)
エイシンワシントンはデビュー戦(中京芝1200)でレコード勝利後、
熊沢騎手に乗り変わり、朝日杯3歳Sに出走。2番人気に推されるも、
ナリタブライアンのはるか後方6着に終わる。
以後、アーリントンCで2着に入るも骨折により春クラシックは出走せず。
その後、セントウルS(1着)・スワンS(3着)と、確かなスプリント適性を発揮し、
暮れのスプリンターズSでも3番人気に推されるも、
サクラバクシンオー圧巻のラストランの後方4着に敗れる。
その後、故障などによりスランプに突入。
1995年は故障前の年明け2戦のみの勝利に終わりました。
年が明けて1996年、マイラーズCで3着に入り復調を予兆させ、
新たに春のスプリントGⅠとして創設された高松宮杯(現・高松宮記念)に
照準を絞るも、フレグモーネなどで回避。
再び長い休養に入る。
5か月後のマイルチャンピオンシップで復帰。
これまでの実績から距離が長いとみられたか、15番人気という低評価。
しかし、そんな低評価をものともせず3着に粘り切り、
連闘で挑んだCBC賞では高松宮杯を勝利したフラワーパークを退けレコード勝利。
そして結果的にラストランとなった第30回スプリンターズS。
いつものように逃げたエイシンワシントンと、
抜群のスタートから、こちらもいつものように好位で競馬を進めたフラワーパークの
直線での激しいデットヒート。この2頭以外に後ろからは何も来ない。
ゴール直前でフラワーパークが並びかけ、2頭同時にゴール。
長い長い写真判定の末、
わずか1cm差でフラワーパークが差し切っていました。
このスプリント史に残る大激戦は、
後にCMにもなったので、最近競馬を始めた方にも
ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
ほんのわずかの差でGⅠのタイトルを手中に出来なかったエイシンワシントンは、
その後、調教中に重度の故障が発生。安楽死処分も検討されたが、
陣営の必死の治療により、なんとか完治し種牡馬入り。
大きな活躍馬は出さなかったが、堅実に走る馬を世に送り出し、
2009年に種牡馬を引退。ホーストラストにて功労馬として繋養されていました。
全8勝の内7勝が1200mのレース。
故障とスランプに泣かされることが多かったものの、
目標にされやすい逃げ馬という立場でも、スピードで押し切ってきたその姿は、
GⅠの勝ち星こそないが、歴代の名スプリンターの1頭に数えても、
なんら差し支えは無いでしょう。
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