ステイゴールド急死
<2015.2.5>
香港ヴァーズ、ドバイシーマクラシックを制し、
種牡馬としてもオルフェーヴル、ドリームジャーニーなどを
送り出して活躍してきたステイゴールド(牡21歳)が、
2月5日に急死した。
~sanspo.com~
ステイゴールドは1994年生まれ。
父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ。
1996年12月1日阪神芝2000でデビューも故障などもあり、
勝ち上がるのは6戦目となる翌年5月でした。
デビュー3戦目から手綱をとる熊沢騎手とのコンビで、
その後も500万・900万と勝利し、なんとか菊花賞に出走するも8着。
その後も賞金額でOP入りするも勝ちきれないレースが続きました。
4歳の天皇賞(春)ではメジロブライトの2着に、宝塚記念ではサイレンススズカの2着、
天皇賞(秋)ではオフサイドトラップの2着、有馬記念ではグラスワンダーの3着。
GⅠだろうがGⅡだろうが、好走はすれどあともう1歩届かない。
阿寒湖特別(900万下)を勝利した日から2年半38戦目の目黒記念で、
ようやく3勝目を挙げる事になりました。
しかし、その勝ち星で安心したのか、
この年は、それ以降凡走の繰り返しで1年を終える事に。
明けて2001年日経新春杯で4勝目を挙げると、
同厩のトゥザヴィクトリーと共にドバイへ遠征することになりました。
ドバイシーマクラシックに出走したステイゴールドは、
低人気を覆しファンタスティックライトをハナ差破り勝利。
(この頃のシーマクラシックはGⅡ)
これで勢いに乗るかと思いきや、
国内に帰ってきたステイゴールドは今まで通り勝ちきれないレースが続き、
引退レースとして位置づけた香港ヴァーズに出走。
直線猛追したステイゴールドは、わずかにエクラールを差し切り、
悲願のGⅠタイトルを最後の最後で獲得し有終の美を飾りました。
現役時代は、その類いまれなる素質を持て余す気性の悪さが災いし、
勝ちきれないことが多く、陣営(池江泰郎厩舎)は、
かなりの苦労を強いられました。
この時の助手の1人が池江敏行は、この馬との出会いの経験が、
後に生かされることになり、ディープインパクトを育てるときにも、
参考になったと語っています。
種牡馬となったステイゴールドは、
初年度からソリッドプラチナムがマーメイドSを勝利し重賞制覇。
翌年生まれたドリームジャーニーが朝日杯FSを制しGⅠ制覇。
そのドリームジャーニーの弟オルフェーヴルが3冠馬となるなど、
多くの活躍馬を輩出。
また、一旦は消えゆこうとしていたメジロマックイーンの血を、
母父として脚光を浴びせるきっかけを与えることになりました。
凱旋門賞では日本内国産馬としては最高位の2着になったのも、
ステイゴールド産駒(ナカヤマフェスタ、オルフェーヴル×2)と、
自身の底力を受け継がせると同時に、
気の悪さも受け継がせるので、個性的な産駒が多い。
現役時代も種牡馬時代も、独特な個性を発揮した名馬でした。
少し早いお別れとなりましたが、ゆっくり休んでほしいです。
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