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ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ④」

第3話 ← ● → 第5話

~夏合宿~

春のクラシック2冠を達成したディープインパクトは、
夏を北海道で過ごすことになった。
北海道といっても放牧に出すわけでは無い。
池江泰郎厩舎の出張厩舎がある札幌競馬場で常に調教を課すのだ。

ディープインパクトは引退するその日まで、
1度も放牧に出されませんでした。
放牧先のスタッフを信じないわけでは無いが、
常に手元に馬を管理することにより、
馬の状態を把握しておきたい池江泰郎調教師の戦略だった。

目指すはもちろんクラシック最終戦『菊花賞』。
ディープインパクトの夏合宿が始まる。
課題は多くあるが、目下の課題は弥生賞あたりから見られる「入れ込み癖」だ。
レースで大きく引っかかる事自体は無かったものの、
レース前の入れ込みがレースを追うごとにキツくなってきている。
3000mを走る菊花賞で、レース前に余計なスタミナを消費することは、
致命傷になりかねない。我慢を覚えさせる訓練が始まる。

調教では常に併走パートナーをつけて、ゴーサインを出すまでパートナーを
抜かさない訓練をする。誰よりも速く走りたい、前の馬を追い越したくて
仕方ないディープインパクトにとって、コレは辛い調教になった。
それ以上に辛いのは池江敏行調教助手。
普段は人間の言う事を素直に聞くディープインパクトだったが、
いざ走り出すと、なかなか我慢が効かない。
併走馬を追い越そうとすると「まだ駄目」とムチを叩くも、
さらにムキになって追い越そうとする。そして、またムチを叩く。
この繰り返しで、始めの頃はコースを1周するにも四苦八苦だった。

さらに、この調教にはリスクも伴う。
馬に走る気を無くさせてしまう危険性もはらんでいるのだ。
こればかりは、どう転ぶかレースになってみないと分からないのだが、
池江敏行調教助手は、この方法で訓練を続けていく。
ディープインパクトは1ヶ月程で我慢する走りをマスターした。

札幌滞在中のディープインパクトは調教以外では至ってお休みモード。
オン・オフの切り替えが早いと言われるディープインパクトにとって、
今は夏休み中と分かっているかのようだ。
市川厩務員が同時に担当するサイレントディールの隣の馬房で
寝起きをしている。サイレントディールは親分肌で、
他の馬が怖がって近寄らないのだが、ディープインパクトだけは、
臆することなく懐いている。サイレントディールが調教で馬房を開けると、
寂しがったり、調教から帰ってくると挨拶するように鳴く。

ディープインパクトは、調教後の「ふて寝」中の洗い場で、
水浴びから脚元のマッサージに移ると、目をパチッとあける。
コレが終わると御飯がもらえることを知っているのだ。

そしてそのご飯の食べ方も、ディープインパクトは独特だった。
たいていの牡馬は飼葉をがっつくように食べるのだが、
ディープインパクトは、「飼葉」→「水」→「青草」→「飼葉」と、
きっちり繰り返して食事をしていくのだ。
目の前に人がいて、切ったニンジンを与えられても、
それを食べ終えると、再び先ほどのローテーションで食べ始める。
そして飼葉を与えられて30分以上たっても、
ゆっくり良くかんで食べ続けるのだ。
そんな姿は、まさに「お坊ちゃま」と市川に言われる所以だ。

順調に夏合宿を終え、ディープインパクトは栗東に戻った。
ここから、秋初戦である神戸新聞杯に向けて調教に熱を帯びてくる。
しかし、池江敏行調教助手は内心焦っていた。
調教でゴーサインを出しても前の馬を抜かそうとしないのだ。
危惧していた我慢を覚えさせる調教を続けてきたことで、
馬が走る気を無くしたのでは。

「やってしまった。」

池江敏行調教助手は、表向きには「順調」をアピールしていたものの、
一人頭を抱える日々が続いた。

秋初戦の神戸新新聞杯が始まろうとしていた。

これまでの3冠馬5頭の内、シンボリルドルフ以外の4頭は、
この秋初戦で敗れている。様々な理由はあるが、
夏の調整がそれだけ難しいという事だ。

レースは「負ける」ことを確信していた池江敏行の気持ちと裏腹に、
全く危なげなく、2着シックスセンスに2馬身半をつけての圧勝。
無敗のまま本番へコマを進める事となった。

課題だった入れ込みもなく、
池江敏行が悩んでいた「走る気を無くす」という事も一切見せなかった。
ディープインパクトは「レース」と「調教」を区別するようになったのだ。
簡単に言うと、「調教」で手を抜くことを覚えたのだ。

なんにしろ夏を上手く乗り切ったディープインパクトは、
いよいよクラシック最終戦の菊花賞に向かう事になる。

 

~無敗の3冠馬誕生~

この頃になると、スポーツ紙だけでなく一般紙やテレビ等の
各メディアでもディープインパクトに関する報道がされるようになり、
まさに「ディープ・フィーバー」と言われる状態だった。

第66回 菊花賞

863人の徹夜組を含む1万2千人のファンが開門(7時20分)と同時に、
競馬場内に入っていく。最終的に前年比の倍となる13万6701人の、
菊花賞レコードとなる観客を動員することになった。

単勝倍率1.0倍。
ディープインパクトの1着馬券を勝っても、
賭けたお金が、そのまま返ってくるだけだ。
GⅠ競争での単勝元返しは、1965年の天皇賞(秋)を優勝したシンザン以来、
40年ぶりの記録だった。

午前中の小雨もやみ、雲の切れ間から薄日が差してきた京都競馬場。
午後3時40分。スターターが台に乗りファンファーレが鳴り響いた。
3枠7番。過去ミホノブルボンが無敗の3冠を目指し敗れ去った枠番に、
ディープインパクトはゆっくりとおさまり、「その時」を待った。

ゲートが開いた。
過去全てのレースでユッタリとした(出遅れた)スタートのディープインパクトが、
この日は抜群のスタートを切れた。
しかし次の瞬間、京都競馬場の歓声はどよめきに変わる。

ディープインパクトは鞍上のいう事を聞かずに、
大きく口を割り前へ前へ行こうとするのだ。
武豊は、この時の事をレース後こう振り返っている。

「ディープとってコースを1周半するレースは初めて。
頭の良い馬だから、このコースの3、4コーナーを覚えていて、
そこを勝負どころと勘違いし、いつものように加速したんです。」

武豊はディープインパクトを内に誘導し、前に壁を作ることにより、
ようやく折り合いをつけることに成功。ディープインパクト自身も、
ゴール板を過ぎたあたりから、「あと1周ある」という事を理解したのか、
再び力みが抜けた走りへと変わる。

折り合いはついた。
問題はこの間に生じたスタミナのロスがどうでるか。
しかも2周目3コーナー付近では、先頭を走るシャドウゲイト
アドマイヤジャパンとの差は20馬身ほどある。
最終コーナーに入ってもまだ武豊の手は動かない。

直線に向いてようやく武豊は追い出しを始めた。
しかし、先行抜け出しを図ったアドマイヤジャパンとの差は絶望的な差。
場内も「届くのか?」と、不安半分の歓声が大きくなる。

残り600を切って凄まじい脚を見せるディープインパクトは、
外から1完歩ずつ差を縮めていく。
渾身一滴の騎乗をした横山典騎手鞍上アドマイヤジャパンを、
ラスト100メートルで抜き去り、2馬身の差をつけ勝利。
シンボリルドルフ以来史上2頭目、無敗の3冠馬が誕生した瞬間だった。

ゴールを過ぎて2着に敗れた横山典騎手とタッチ。
アドマイヤジャパン自体も3着のローゼンクロイツに4馬身の差。
6番人気という低評価を覆す好走してのけ、
「これで勝てないのなら仕方ない。」
横山典騎手自身も満足だった。

勝ちタイム3分4秒6。
驚くべきはラスト3ハロン33秒3。
前半あれだけ折り合いを欠くロスがありながら、
菊花賞史上最速の上りを掲示したのだ。

そして、当然かのように武豊の3本の指が高々と上げられた。

レース後のインタビューで池江泰郎調教師は、
騎手時代に見たある名馬の走りを思い出していた。

「どんなところからでも必ず最後は勝つシンザンのレースの記憶が
蘇ってきました。こういう素晴らしい馬が、うちの厩舎にきてくれて、
関係者の方々に本当に感謝しています。」

こうして歴史に名を刻んだディープインパクトの次なる目標は、
古馬との対戦となる有馬記念へと向けられることになった。

 

~初めての敗戦~

ここで、有馬記念に出走するメンバーを中心に、
この年の古馬戦線を軽く振り返ってみます。

古馬の筆頭はゼンノロブロイ
前年の天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念を制し史上2頭目の
秋古馬3冠を達成し、この年は勝利こそは無かったものの、
海外GⅠ含めて全て3着以内に入る堅実さを見せていた。
有馬記念を最後に引退が決まっている。

次にハーツクライ
GⅠ勝利こそないが、4歳になってグングン調子を上げきて、
前走のジャパンカップでは2分22秒1という世界レコードをマーク(2着)。
日本を知り尽くしたルメールが鞍上という事も心強かった。

いつも相手なりに走ることができるリンカーン
ゼンノロブロイと同じく今回が引退レースのGⅠ2勝馬タップダンスシチー
牝馬ながら天皇賞・秋を制したヘヴンリーロマンス
天皇賞・春で大穴を演出したスズカマンボ
その他、多種多彩なメンバーが揃っていました。

順調に乗りこまれるディープインパクト
雪の影響で、追い切りスケジュールに若干の変更はあったものの、
馬に大きな影響を与えるほどのものでなかった。

過去無敗のまま有馬記念を制した馬はいない。
その大偉業にディープインパクトが挑むことになる。
陣営も3冠とは違うプレッシャーがのしかかっていた。

 

第50回 有馬記念

16万2409人のファンが詰めかけた中山競馬場。
前述のメンバーが揃っていながらも、ディープインパクトの単勝は1.3倍。
過去3歳で有馬記念を挑んだ3冠馬は2頭。
シンボリルドルフナリタブライアンだ。
2頭共、並居る古馬を一蹴し勝利している。
当然、ディープインパクトもココを勝利するものだと、
ファンは思っていた。

ゲートが開き、再びいつものようにゆったりとスタートを
切ったディープインパクトは、菊花賞後に覚えこまされたスパート位置を
間違う事もなく折り合っていた。
向こう場面で外に出し、徐々にポジションを押し上げる。
3~4コーナーにかけ手綱を持ったまま前を射程圏に入れる。
直線に入って、ゴーサインが出る。

しかし、いつもの伸びが無い。

これまで後方からの競馬をしていたハーツクライ
鞍上ルメールは先行させて、直線早め抜け出しから粘りこみを図っていた。
そのハーツクライにジワジワ差を詰めていくものの、
ようやく半馬身まで詰め寄ったところがゴールだった。

ディープインパクトを負かすなら、この方法しかないという鞍上の
好騎乗だったとはいえ、常に楽に33秒台の上りを出してたディープインパクトが、
この日は34秒6。1番速かったとはいえ、他にも34秒9だった馬が3頭いる。
これまで見せてきた豪脚が、この日はなりを潜めたのだ。

グランプリレースとは思えない落胆による静けさが漂う中山競馬場で、
ファン以上に落胆の表情をした武豊が、

「勝った馬は強かったが、力を出し切って負けたのなら納得だが、
今日は全然走っていない。それがなぜなのかは分からない。残念です。」

と語った。

池江敏行調教助手は、この時の事をこう振り返る。

「3冠を達成したことにより、スタッフ全員がホッとした気分になり、
気が抜けた状態だったのが、馬に伝わってしまったからでは無いか。」

なんにしろ、ココで古馬の壁にぶつかったことにより、
さらなるパワーアップが求めらることになったものの、
陣営にとって『無敗』という重圧からは解放された事は、
人にとっても馬にとっても良かったのかもしれない。

こうして、太く短いディープインパクトの1年目が終わった。

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<参考文献>

『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』

 

 

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