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ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ⑥」

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~凱旋門賞~

ディープインパクトのフランスでの滞在先はカルロ・ラフォン・パリアス厩舎に決まった。
’97年に凱旋門賞を目指したサクラローレル(フォワ賞で屈腱炎発症により断念)が
滞在した厩舎でした。遠征中のサクラローレルに騎乗していたのも武豊だった為、
馴染みのある厩舎だった。

8月9日に成田空港から出国するため、ディープインパクト
帯同馬であるピカレスクコート(池江泰寿厩舎管理馬)は、
8月2日に美浦トレセンの検疫厩舎に入厩。
軽めの調教を課しながら、血液検査など出国するための検査が行われた。

8月9日、ホースストールという競走馬専用コンテナに2頭は入れられ、
飛行機は飛び立った。機内では細心の注意が図られ、
コンテナ内には複数のカメラが用意され馬の状態を常に管理できた。
何かあればすぐに下に降りて対応できる準備もされていた。

飛行時間にして12時間。シャンティーの厩舎までに8時間ほど。
大きなトラブルもなく、無事ディープインパクトは到着した。

さっそくディープインパクトの調教が始まる。
シャンティー競馬場の近くにあるエーグル調教場は広大な森に作られた調教場。
日本のトレーニングセンターと違い、周りに人や建物はほとんどない。
そんな環境の変化にもディープインパクトはすぐに対応できた。
加えてマスコミの取材もシャットアウトされていたため、
非常に静かな環境で調教は続けられていった。

9月13日、ディープインパクトはロンシャン競馬場でのスクーリングを行った。
エーグル調教場での取材はシャットアウトされていたため、
ここぞとばかりに日本のマスコミはロンシャン競馬場に集まった。
日本だけでなくフランスのマスコミも大挙して集まった。

過去ディープインパクトより前に日本の調教馬が凱旋門賞に挑戦したのは6頭。
長期ヨーロッパ遠征を敢行したエルコンドルパサー
惜しい2着に入ったもの以外は、全てヨーロッパの分厚い壁にぶつかった。

そもそも凱旋門賞というのは、過去から現在(2013年)に至るまで、
欧州で調教をつまれた競走馬以外が勝利したことが無かったのだ。
その伝統が、今年ついに破られるかも。
世界の競馬関係者並びに競馬ファンの注目はディープインパクトに注がれていた。

 

凱旋門前日の9月30日。
ディープインパクトの帯同馬として連れていかれたピカレスクコートが、
ダニエルウィルデンシュタイン賞(GⅡ)に出走し、見事に逃げ粘り2着に入る健闘を見せた。
日本では1000万下クラスの同馬が海外の重賞でも好走できたことは、
日本馬全体のレベルが上がっている証拠であり、
何より、フランスに来てからの調整方法が間違っていなかった事を示すため、
陣営にとっては本番にむけてこの上ない自信となった。

 

10月1日、日本馬が凱旋門賞を勝つ歴史的な瞬間をこの目で見ようと
ロンシャン競馬場には多くの日本人が詰めかけた。
日の丸やディープインパクトの勝負服、侍の文字など、
これまでに経験したことのない異様な雰囲気が競馬場を包み込んだ。

出走馬は8頭。
出走頭数が過去2番目に少なくなったこの年の凱旋門賞だが、
前年度覇者でこの年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスⅡステークスで、
ハーツクライを撃破したハリケーンラン
そのハリケーンランを前哨戦のフォワ賞で破り、前年のブリーダーズカップターフを
勝利してから目下4連勝中のシロッコ
3歳前哨戦であるニエル賞の勝利でこちらも4連勝中と並にのる3歳馬レイルリンク
前年のチャンピオンSから5戦して一度も掲示板を外さず、サンクルー大賞では
ハリケーンランを破った女傑プライド
セントレジャーステークスを勝利し鞍上に世界の名手ランフランコ・デットーリを
配してきたシックスティーズアイコンなど、
かなり濃いメンバーが揃った。
この濃いメンバーでも、この年の凱旋門賞は、
ディープインパクトハリケーンランシロッコ
3強対決と見られていた。

そんなメンバーが集まっても、
ディープインパクトの単勝倍率が(一時)1.1倍を記録する。
最終的には1.5倍になったオッズだが、日本人が大量に購入したとはいえ、
(現地では日本人用の投票用紙・窓口が設置される)
「もはや、ディープインパクトに勝たれてても仕方ない」
そんな諦めムードからくる現象だったかもしれない。

 

パドックに出てからゲートに入るまで15分。
日本のように30~40分ほどかかる工程は短く、
ファンファーレもないため、粛々とゲート入りが進められる。

ディープインパクトが最後にゲートに入って、
ついに決戦の火ぶたは落とされた。

ディープインパクトは抜群のスタートを切った。
武豊自身は後方に位置づけたかったのだが、周りがそれを許さない。
押し出せるような形で2番手につけた。

ペースはスロー。
我慢できずシロッコが行きたがった為、ディープインパクトは3番手に下げる。
そこからしばらく隊列は変わらず、ロンシャン競馬場名物フォルスストレートへ。
これは最後の直線の前にある、「偽りの直線」と呼ばれるものだ。
ここでスパートしてしまうと、最後の長い直線で脚が上がってしまうのだ。
このフォルスストレートから、ややペースが上がり始める。
最終コーナーでディープインパクトの内にいたハリケーンランを、
うまく閉じ込めることに成功し、ディープインパクトは持ったまま、
シロッコと逃げていたアイリッシュウェルズを交わして先頭へ。

残り400mということろで、ディープインパクトの後方で
競馬をしていたレイルリンクが迫ってきたので、
武豊もゴーサインを出し、脚を伸ばした。

そこからはレイルリンクとの競り合い。
交わされそうになったところを、もう1度差し返したのもつかの間、
レイルリンクとの差はジリジリと広がっていく。
さらに大外から伸びてくるプライドにも交わされ、
結果ディープインパクトは3着に敗れた。

 

「皆さんの期待に応える事が出来ず残念な思いです。
しかし、ディープは持ち味を出して一生懸命頑張りました。
また、いつか皆さんのご期待に応えること信じています。」

いつもの優しい口調で語った池江泰郎調教師だが、
その表情からは悔しさが滲んでいた。

「負けは負けだが、ギアが一段上がらなかったという感じ。
本来の彼の走りではなかった。悔しいというより残念です。」

武豊も敗戦のショックは大きく、どうして負けたのかが分からなかった。

 

このディープインパクトの敗戦にはいくつかの憶測が飛んだ。

・間隔があきすぎたローテーション。
・体調問題。
・ペース。
・一度もヨーロッパのレースを使わなかったこと。

個人的には、コレらの事はディープインパクトにとって
些細な要因でしかないように思う。
しかし、この事が少しずつ重なり合い、
ディープインパクト本来の走りが出来なかったのだろう。

 

10月4日、ディープインパクトピカレスクコートは無事帰国。
ディープインパクトはそのまま東京競馬場の国際厩舎に移動。
ここで3週間の着地検査を受ける事になる。
滋賀県のグリーンウッド・トレーニングで着地検査もできるのだが、
そうなると市川や池江敏行調教助手の手を離れる事になってしまうため、
天皇賞・秋への登録を条件に、東京競馬場に入厩した。

 

そんな中、10月11日ディープインパクトの年内引退が発表された。

引退後は国内最高額の51億円でのシンジゲートが組まれ、
社台スタリオンステーションで種牡馬として繋養されることになった。

「さぁ、再出発して、あわよくば来年の凱旋門賞でリベンジを!!」
と意気込んでいた陣営にとって、まさに青天の霹靂。
これまでディープインパクトの引退という話は出てこなかったのに、
この日の朝、突然オーナー側から連絡があった。

「残りはわずかですが、全力投球で皆さんが感動するような
競馬ができるように頑張っていきたいと思います。」

寂しげな笑みを浮かべながら池江泰郎調教師は語った。

 

ディープインパクトの突然の引退発表から8日後、
追い討ちをかけるようなショッキングな報せが飛び込んできた。

「凱旋門賞のの薬物検査でディープインパクトの検体から
禁止薬物のイプラトロピウムが検出された。」

フランスの競馬統括機関フランスギャロからの連絡だった。

イプラトロピウムは、人間でいう喘息や気管支炎などで処方される薬。
日本では禁止薬物指定とはされていないのだが(翌年より禁止)、
ヨーロッパでは自然の状態で馬の体内に存在しないすべての物質を
禁止薬物としているため、当然イプラトロピウムも禁止薬物となる。

しかし、すべての禁止薬物の「使用」を禁止するものではなく、
レースまでに体内から排出されて、薬物の影響かにない状態で、
出走すれば問題ないということだった。

フランスギャロからは続いて、
「悪意のあるドーピングではなく、不注意による投与ミスであろう。
ディープインパクトの国内での今後の出走になんら制限するものではない」
と、話している。

関係者の聞き取り調査の結果、

9月13日にロンシャンン競馬場でのスクーリングから帰ってきた
ディープインパクトが咳をしていたということで、
フランスに出張していた日本人獣医師がフランス人獣医師に相談したところ、
吸入治療を推奨された。そこでイプラトロピウムを薬局で購入し、
9月21日~25日の5日間、馬房内で治療を行った。
治療中、ディープインパクトが暴れて吸入器のチューブが外れたことが、
2回あり、薬品が馬房内に飛散。
そうして飛び散って、寝藁などの敷料や乾草に付着した薬品を、
ディープインパクトが口に入れてしまった可能性がある。

という事だった。

さらに、イプラトロピウムは体内では24時間以内に消失するが、
揮発性が低く、空気中に安定した状態にあるため、敷料や乾草に
付着した場合は1週間程度では消失しないものだ。
日本では治療を行う際、洗い場などで行う事が多いが、
海外では洗い場というモノがほとんどないため、
馬房で治療を行う事になったのも要因だった。

この結果、ディープインパクトは失格。
池江泰郎調教師に227万円の制裁金が科された。

禁止薬物検出から裁決の間、
ディープインパクト陣営は、フランスギャロから厳しい調査を受けた上に、
競馬関係者やマスコミに、そうとう追い込まれることになる。
テレビの報道でも、度々この話題が持ち上がり、
ほんの数週間前まで、国民的ヒーロー扱いだったのが一転、
国辱呼ばわりされる始末だった。

「敏行、おれ辞めようかな。覚悟はある。」

と、池江泰郎調教師が漏らしたこともあった。

それでも、馬に対する愛情が薄れたわけでは当然なく、
ある夜、池江敏行が厩舎に行くと、池江泰郎が一人ディープインパクト

「ごめんなぁ、お前が悪いわけでは無いのに・・・。」

と、話しかけていた。

 

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<参考文献>

『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』

 

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