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ライスシャワー 「孤高のラストステイヤー⑤」

第4話 ← ●

~現実と休養~

天皇賞・春の本番直前での骨折は陣営にとって大きなショックとなった。

「もう、引退させようか」

ライスシャワーは、すでに5歳。来年はもう6歳。
とても今以上の上り目を期待するには酷な年齢だ。
それなら、引退して種牡馬になった方がこの馬のためではないだろうか。

飯塚に、こんな気持ちを抱かせた。

オーナーの了承を得て、飯塚は種牡馬の口を探した。
GⅠ2勝を挙げている名馬。
繁養先は、すぐ見つかると思った。

しかし、ライスシャワーを種牡馬として欲しいという話が、
1つも上がらなった。

その理由の1つは、時代が輸入種牡馬全盛期だったこと。
ノーザンテーストの大成功から始まった海外種牡馬の輸入は、
この時期最盛期を迎えていて、まさに内国種牡馬受難の時代だった。

そして、もう1つの最大の理由が、
ライスシャワーが菊花賞と天皇賞・春という、スタミナレースでしか、
勝利していないという事である。
スピード重視の傾向がより強くなっているこの時代に、
ステイヤー資質が強すぎる種牡馬に、需要は無かったのだ。

こうして、ライスシャワーは今までのライバルと違い、
乗り越えることの出来ない『現実』という壁にぶち当たってしまった。

これだけ自分たちに感動と夢をかなえてくれた馬を、
陣営はなんとか種牡馬にならさせてやりたかった。

「あと1~2つGⅠを勝つ事が出来れば評価も変わってるくるのでは」

ライスシャワーの現役続行は決まった。

ライスシャワーは生まれ故郷のユートピア牧場で静養することになった。
約4年ぶりの帰郷だ。
競走馬(特に牡馬)というのは、一旦生産牧場を離れると、
生まれ故郷に帰ってくることは、ほぼ無い。
しかし、心身ともに疲れ切っていたライスシャワーに、
少しでもリフレッシュを促すために、特別に生まれ故郷であるこの地での
静養が選ばれた。

そのせいもあってか骨折の治りも早く、
全治6か月の診断だったものの、1か月後にはすでに足を地面に、
つけることができるぐらい回復した。

9月に大東牧場へ移動するまでのこの短い期間は、
ライスシャワーにとって至福のひと時だったに違いない。

二度と訪れる事のない故郷を後にして、
ライスシャワーは再び厳しい世界へと戻っていった。

 

~復活の予兆~

陣営がライスシャワーの復帰戦をどこに置くか検討している間に、
競馬界では新たな風が吹いていた。

 

シャドーロールの怪物ナリタブライアンの出現である。

 

ライスシャワーも出走した京都記念で圧勝し、
後の天皇賞でも他馬を寄せ付けず勝利したビワハヤヒデの弟。

朝日杯で2歳王者に君臨すると、とんとん拍子で3冠も達成。
しかも出走したレースは圧勝(1度2着あり)続きと、
まさに怪物の名にふさわしい成績をあげていた。

さらに、女傑ヒシアマゾン
外国産馬であるがゆえにクラシック登録はできなかったが、
2歳女王になったのちも、派手な勝ち方の連続で、
エリザベス女王杯で、オークス馬チョウカイキャロルも撃破し、
実質3歳最強牝馬はもちろん、歴代最強牝馬とも謳われるほどの馬。

同時に出現した2頭の怪物が、この時期の競馬界の中心だった。

ライスシャワー陣営は、その2頭が初対決となる有馬記念を、
復帰戦に選んだ。
休み明けで仕上げも不十分。万全な状態でも勝てるかわからない2頭が
出走してくるレースに、あえて挑戦することにした。
GⅠホースとしての意地を、陣営は見せたかったのだ。

かくして、第39回有馬記念は始まった。
いつものごとく(いつも以上に)ツインターボが前半から全速力で逃げる。
2番手ネーハイシーザーに30馬身差以上離す大逃げだ。
ナリタブライアンは無理せず先行策。
さすがのツインターボも勢い無くなり4コーナーではナリタブライアン
先頭に立ってしまいあとは独走となる。
ヒシアマゾンだけが、後方からナリタブライアンを追いかける展開の中、
内に潜り込んだライスシャワーが懸命に前2頭に追いすがっていた。

有馬記念3着。

長い休養明けのレースとしては申し分のない結果となった。

 

年明け初戦は昨年と同じく京都記念から。
GⅠ馬であるライシャワーは再び60kgの斤量を背負いレースに
挑むことになった。

結果は6着。

しかし、陣営にとってココは休み明け2戦目。
さらに言えば、天皇賞・春へ向けてのステップと考えていたので、
負ける悔しさはあるものの、落ち込むことはなかった。

 

次戦は日経賞
年明け2戦目が日経賞は今年で3回目。
前々年は1着。前年は惜敗の2着と、ライスシャワーが得意としている舞台。
メンバーも手薄とあって、ここでも1番人気に推された。
しかし、結果はまたしても6着。

調子は徐々には良くなってきているものの、
若いころのように、急激な良化はまだみられることがなかった。
それでもここを過ぎれば良くなる。
そいう淡い期待を抱きながら、陣営は本番へと向かう事になった。

 

そんな陣営にとっては吉報が届いた。

「ナリタブライアン故障により天皇賞回避」

ミホノブルボンメジロマックイーンという名馬を
まさに人馬一体となって倒した的場でさえ、

「あの馬(ナリタブライアン)が出てくれば勝つ事は出来ない。」
「全盛期のライスでも、どうか。」

と完全に白旗状態だった。

しかし、ナリタブライアンの欠場により
俄かに勝利の機運が高まった。

だが、そこに1つの問題が生じた。
的場は、早くからナリタブライアンを徹底的にマークする気だった。
その目標がいなくなり、作戦の立て直しが必要となった。
そして出た結論が、本番で実行されることになる。

 

~第111回 天皇賞・春~

状態は今できる最高の状態に持って来れたとはいえ、
すでにピークを過ぎたライスシャワーは体力では若い馬には負ける。
2年前のような荒々しさも無い。
だが、経験では誰よりも豊富だ。

2年前と同じ2枠3番のゲートで、
闘争心を静かに内に秘め、ゲートが開くの待つ。

クリスタルケイがやや離れた先頭にたつも、
全馬がゆったりした流れでレースが運ばれた。

2週目に入ったところで、的場ゴーを出した。
3コーナーで仕掛け始めたのだ。

京都の長距離戦で3コーナーから仕掛けるのは競馬界のタブーだった。
長い坂の上り下りがあるこのコースで、3コーナーから仕掛けると、
スタミナが激しく削られ、どうしても終いが甘くなる。

だが、的場はあえてそのタブーを破って見せた。

「正攻法では勝てない。それほどこの馬は弱くなった。」

この考えがあっての事だが、同時にライスシャワーなら、
このタブーを乗り越えることができるはず、
という馬への大きな信頼の証しでもあったのだ。

坂の頂上で先頭に立ち、より一層頭を下げて走り続け、
直線に入った時には、後続とは4馬身差。
さすがのライスシャワーも脚が鈍る。
しかし一緒に上がってきた先行勢は、ライスシャワー以上に
脚色はすでに止まっていた。
あとは後方待機から直線一気に賭ける馬達だ。
その代表たる馬ステージチャンプが、大外から勢いよく追い込んでくる。

必死に粘るライスシャワーと的場均。
必死に追いすがるステージチャンプと蛯名正義。

この2組の馬と騎手が、同時にゴール板を過ぎていった。

的場の手は、いつものように馬をやさしくなでる。
勝利を確信した蛯名の腕は上がる。

軍配はどちらに上がったのか。

1着 ライスシャワー
2着 ステージチャンプ (ハナ差)

2年前、この舞台で美酒に酔った以来の勝利だった。
苦しんで苦しんでようやく掴んだ栄光だった。

全ての力を使いきったライスシャワーは、
澄んだ瞳で、自分に向けられる拍手の嵐を見つめていた。

 

~悲しみのラストラン~

鮮やかな復活劇を目の当たりに、ライスシャワーの人気は上昇した。
宝塚記念ファン投票1位に選ばれたのだ。
それまでの悪役から主役に取って変わった瞬間だった。

逆に陣営にとっては頭を悩ます種でもあった。
天皇賞の疲れが全く抜けないのだ。

2年前の天皇賞も同様に疲れが抜けなかったために、
宝塚記念は回避した。
今回も、その例にならい大東牧場に戻したかったのだ。

ファンあっての競馬。そのファンに1位に選んでいただいた。
さらに「復興支援競走」と銘打たれた今年の宝塚記念。

飯塚は悩んだ挙句、出走に踏み切った。
飯塚を後押ししたのは、なにより今年の宝塚記念が、
京都競馬場で開催されるという事だ。
数々の奇跡を成し遂げた京都なら、もう1度奇跡が起こるかもしれない。
そんな期待があったのかもしれない。

さらに、陣営にとっては嬉しい便りが届いた。
JRAがライスシャワーを種牡馬としてバックアップするという事だ。

実は2度目の天皇賞・春を制したライスシャワーであったが、
依然、種牡馬としての声は上がらなかった。
むしろ、「ステイヤー」というレッテルがより強化されただけだった。

そんな中、届いたこの吉報は、
陣営にとって、どれほど嬉しかったことか。

宝塚記念の2日後に、最終確認のため担当者がライスシャワー
見に来ることになった。

これで、ライスシャワーの未来も開けた。
あとは、宝塚記念をいかに乗り切るかだけだった。

 

第36回 宝塚記念

的場と川島厩務員は、どことなくおとなしいライスシャワーに、
不安を感じた。天皇賞の疲れ、急仕上げだった調整はもちろんあるが、
それでも、こんなにも覇気が全く感じられないライスシャワー
初めてだった。

ゲートが開いてからもライスシャワーに気迫は戻らなかった。
デビュー以降、ほぼ全レースで先行したこの馬が、
全く前に行けず、後方での競馬となったのだ。

異変を感じた的場は、勝ち負けよりもレースを無事終えることに
目標を変えた。

しかしライスシャワーの体は、
この1レースすら走る余力は残っていなかった。

3コーナーと4コーナーの中間地点で、
ライスシャワーの体がガクッと前のめりになった。
とっさに的場が手綱を引き、それに応えるようにライスシャワー
最後の力を振り絞り体を起こし、騎手が馬の前に投げ出され、
下敷きになるという最悪のケースは避けられたものの、
的場は放り投げだされ、ライスシャワーの馬体は横倒しになった。

1度起き上がろうという仕草は見せたが、
自分の人生を悟ったかのように、ライスシャワーは動かなくなった。

左前第一指関節脱臼。

骨が肉を破りむき出しになるほどの重症だった。
ライスシャワーはその場で安楽死処分が下された。

「ライスが死んだはずがない。もう一度見てく。」

ライスシャワーの陣営が重い足取りで引き上げる中、
的場が突然言い出した。
周りの制止を振り切り、ライスシャワーの元へ行こうとする的場に、

「均、もうやめとけ」

飯塚が、厳しくも優しくも感じる言葉をかけた。
我を失いかけていた的場も、諦めて他の皆と一緒に引き上げていった。

 

こうして、確固たる地位を築きながら、
ついぞ主役となる事が出来ず、
ようやく皆に認められたのに満足したかのように、
この世を去った稀代のステイヤーの物語はココで終わった。

日本人は元来、判官びいきの気質。
弱い馬が強い馬を打ち倒す姿に心躍るものなのだが、
ライスシャワーは決して弱い馬ではない。

強いて言うなら、スピードを追求する風潮に翻弄され、
時代に取り残された名馬とでも言うべきか。

 

おそらく、ライスシャワーが種牡馬になっていたとしても、
その血を残し続けることは難しかったかもしれない。

しかし、的場均を背にその頭を深く沈めて大きなフォームで
標的を捉えに行く姿は今も記憶に残り続けている。

そんな、ライスシャワーという「記憶」は、
多くの子供たちを残すことと匹敵するぐらい価値があるものだと、
僕は思います。

~終わり~

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<参考文献>
『伝説の名馬ライスシャワー物語』著:柴田哲考
『ライスシャワー 天に駆け抜けた最強のステイヤー』

 

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