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ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ②」

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~衝撃のデビュー~

ここでディープインパクトに深くかかわった厩舎スタッフを
軽く紹介します。

池江泰郎調教師は、騎手引退後に1979年に厩舎を開業。
「メジロ」牧場の馬や、「ヤマニン」の馬を多く管理し、
初GⅠ制覇は、その1頭であるメジロデュレンによる菊花賞だった。
メジロデュレンの弟メジロマックイーンが競馬界を蹂躙したのち、
トゥザヴィクトリーステイゴールドノーリーズン
ゴールドアリュールなど、数々のGⅠホースを世に送りだした名伯楽。
オグリキャップの厩務員として苦楽を共にした池江敏郎は実兄。

厩務員の市川明彦
ひょんなことから競馬学校の厩務員過程を受験することになり合格。
1985年に池江厩舎に配属になったのち、トゥザヴィクトリー
ブラックタイドなど素質馬の担当を任されることになった。

調教助手の池江敏行
池江泰郎の甥。元は騎手希望だったものの、
身長制限で引っかかたため厩務員となる。
池江泰郎厩舎開業により同厩舎で調教助手となる。
メジロマックイーンステイゴールドトゥザヴィクトリーなど、
市川同様、素質馬を数多く任されることになった。

ディープインパクトは、この池江厩舎に入厩することになった。

 

ブラックタイドの弟がやってくる」

この事が、池江敏行に期待よりも不安を抱かせた。
ブラックタイドの調教も担当していた池江敏行は
あの馬の激しい気性に何度も悩まされ、何度も怪我を負わされたためだ。

しかし、そんな不安もディープインパクトを見て一掃された。
好奇心旺盛なキラキラした目をしている上に、
ブラックタイドとは似ても似つかない小さな体で、
むしろ可愛らしく思えた。

ただ、小さな馬体というのは逆に競争馬として不利が多くなるため、
気性の問題とはまた違った不安も感じた。

しかし、この不安も調教で跨ることで解消された。

「全身が柔らかい」

それも数々の名馬に跨ってきた池江敏行が、
今まで感じたことのないほどの柔らかさであった。

そんな素質を感じさせる背中に跨りながら調教は進められた。
入厩後の池江敏行が乗った坂路での調教では、
それほどの驚きはなかったが、デビュー3週前になり、
Cウッドコースでの調教に入った時に、異変が生じた。

池江泰郎から6ハロン(約1200m)を80秒ぐらいで
走って来いという指示だったのが、実際計ってみると、
77秒8というオープン馬でもなかなか出ない時計になった。

戻ってきた池江敏行はタイムを聞いて茫然。
そんな速いタイムを出したつもりは一切なかったのだ。
日本の騎手や調教助手の持つ体内時計の精度は世界的に見ても高レベル。
ましてや調教助手としてベテランの池江敏行のそれは、
他の調教助手と比べてもリードしていると言っても良いものだ。
そんな池江敏行の体内時計すらも狂わすディープインパクトの走りに、
周りは「将来、大物になるのでは」という雰囲気になり始めた。

実は、この体内時計を狂わすディープインパクトの走りについては、
入厩後初めて坂路で早めのタイムを出した際にも起こった現象でした。
高橋康之騎手が跨ったディープインパクトは、坂路を58~59秒での指示の所、
54秒3という、すぐにでも実践に使えるタイムを叩き出した。
いきなりこんな速いタイムを出してしまい、さぞ疲労していることだろうと、
市川は心配したが、そのタイムを聞いた高橋は、後の池江敏行と同じく茫然。
全くそんな速いタイムを出したつもりがなかったのだ。
ディープインパクト自体も、心配された疲労もなく、
軽めの調教を施された状態となんら変わらないものでケロッとしていた。
 

そんなディープインパクトに、主戦となる武豊騎手が
レース当週の本追い切りで乗ることになった。

Cウッドコースを81秒5で走り抜け、合わせた馬に1.6秒先着。

戻ってきた武豊は、

「この馬、やばいかも。」

興奮気味に語った。

 

2004年12月19日、阪神競馬場の第5レースの新馬戦(芝2000m)で、
ディープインパクトはデビューすることになった。
ブラックタイドの全弟、調教タイム、池江厩舎、武豊という要素が合わさり、
単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されました。

レースは新馬戦にありがちな超スロー。
1000mの通過タイムが1分6秒0という遅い流れにも、
行きたがるそぶりは見せずに、逃げるコンゴウリキシオーを見る4番手で
レースを進めることになった。
直線に入って先行する2頭の外から並びかけたのも一瞬の内で、
一度もムチを使うことなく楽に先頭に立ち、ゴール前では流す余裕もあった。
着差は、後にきさらぎ賞を勝つコンゴウリキシオーを4馬身突き離す圧勝。
それでいてラスト3ハロンを33秒1。スローだったので速い上りは当然なのだが、
2番目に早かったコンゴウリキシオーより1秒も速い末脚を使ったのだ。

「新馬戦は無事に走り切り、ハナ差でも勝てばいい。」

こういう風に思っていた陣営は、豪快な勝ちっぷりから疲労を心配した。
しかし、レース後すぐに息が入りケロッとした状態。

池江敏行が、武豊に何か問題なかったかと聞くと、
「手前を替えなかった」と報告された。
「手前を替える」とは、レース中に着地する前脚を左右逆にすることを言う。
馬が疲れてきたら走りが鈍くなってくるので、この手前を替えることにより、
疲労を和らげ再び勢いを取り戻すために行う動作。
この手前を替える練習は行われていたし問題もなかった。
つまり、今回のレースはディープインパクトにとって
楽なレースだった他にならない。

なんにしても、デビュー戦は自分たちが想像していたよりも、
もっと上の次元の末恐ろしさを感じさせるものだった。

 

次戦は年が明けて、新馬戦から1か月後の若駒ステークス。
京都競馬場の芝2000mのオープン特別。
出走頭数は7頭。レースはテイエムヒットベケイアイヘネシー
2頭がとばして、1000mを59秒3というペース。
3コーナー手前で逃げるテイエムヒットベディープインパクトとの差は、
25馬身ほどあった。4コーナー手前から徐々に進出をはじめ、
最終コーナーを回るときは前と10馬身差。
ケイアイヘネシーが逃げ粘ろうとする外を、
まるで他の馬が止まっているかのような走りで抜き去っていく。
ここでも一度もムチを使わずに最後は流して5馬身差の圧勝。

 

 

「これはとんでもない馬が現れた」

そんな雰囲気が競馬場全体を包みこんでいた。

 

次走は皐月賞トライアル弥生賞(中山・芝2000m)と決まった。
このあたりから陣営はクラシックをハッキリ意識し始める。
しかし、心配もあった。体重が増えないのだ。
通常競争馬というのは成長につれて体重は増加していくものなのだが、
ディープインパクトはレースをするたびに減っていく。
最終的には馬体が減り続けても問題なかったことを証明するわけだが、
この時期はまだ、どうしても気になる問題点だった。
よって、あまり強すぎる負荷をかけることができないまま、
弥生賞当日を迎えた。

今回は初の重賞レース。今までのレースと違い、相手が大幅に強化される。
2歳王者マイネルレコルト、名牝ビワハイジを母に持ち京成杯を
勝利しているアドマイヤジャパン、重賞3着経験のあるニシノドコマデモ
さらに初の遠征と、ディープインパクトにとって克服しなければならない、
課題が山積みだった。

レースは1000mを1分2秒2のスローペース。
マイネルレコルトがややカカリ気味で2番手につけ、
3番手にアドマイヤジャパン
ディープインパクトはそこから8馬身ほど後ろから終始外々を回る。
4コーナーでも大外を回って一気に先頭に立つ。
しかし内々でしっかり足を貯めていたアドマイヤジャパンが追いすがる。
一瞬並んだかのように見えた着差も、結局はクビ差の勝利。
大外を回ったディープインパクトと内ラチをロスなく運べたアドマイヤジャパン
加えて、ココでもムチを使わなかったディープインパクトに対し、
アドマイヤジャパンは目一杯しごかれムチも叩かれていた。
着差は僅かだったが、これまでの2戦同様圧勝と言っていい内容だった。

こうして1度も負けることが無いどころか完勝続きのまま、
クラシック1冠目の皐月賞へと向かう事になった。

 
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<参考文献>

『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』

 

 

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