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バンブーメモリー、29歳で大往生。

<2014年8月7日>

1989年の安田記念、1990年のスプリンターズSなど
重賞4勝を挙げたバンブーメモリーが7日昼、老衰のため死亡した。
29歳だった。

近年は北海道浦河郡浦河町のバンブー牧場で余生を過ごしていた。

~ラジオNIKKEI~

 
1989~1990年に短距離からマイル戦線で主役の1頭だったバンブーメモリー
7日、老衰のため死亡しました。

バンブーメモリーは父モーニングフローリック
マドンナバンブー(父モバリッズ)。
モーニングフローリックはアメリカの競争馬。
現役時はダートよりも芝での活躍が目立ち、
日本に種牡馬として輸入後、菊花賞を勝ったメグロアサヒや、
スプリンターズSを勝ったキングフローリック等を輩出。

バンブーメモリーは当初脚元が弱かった為、
2歳から4歳春までダートを使い続けました。
芝初挑戦となった道頓堀S(1400万下)を圧勝。

初重賞戦となったシルクロードS(芝1600)では、
後方から追い込み僅差の3着。
鞍上に岡部幸雄を迎え、連闘で安田記念に参戦。
ペースが落ち着きそうな所で、出負けしたケープポイント
推してハナに立った為、一転ハイペースに。

いつもの様に後方に待機していたバンブーメモリーは、
直線でバテた先行勢を交わし、先に抜け出したダイゴウシュール
並ぶまもなく交わし勝利。10番人気の低評価を覆しての戴冠でした。

一躍GⅠ馬の仲間入りとなったバンブーメモリーは、
宝塚記念高松宮杯(芝2000)と距離延長で臨むも、
イナリワンメジロアルダンと、壁は大きく完敗。

放牧明けのスワンSを貫録勝ちしマイルCSへ。

第6回マイルチャンピオンシップでは武豊騎手が初騎乗。
オグリキャップとの壮絶な叩き合いで、
わずかに競り負けて2着。(オグリキャップ列伝参照)

オグリキャップはこの後ジャパンカップに連闘し、
激走という離れ業が伝説として語られていますが、
実はバンブーメモリーオグリキャップへのリベンジするべく、
ジャパンカップに連闘していました。(13着)

とはいえ、この年の最優秀スプリンターを受賞。

年明け数戦はスランプが続いたが、高松宮杯で勝利。
放牧はさんで毎日王冠天皇賞(秋)と好走はするも勝ちきれず。
連覇を狙ったマイルチャンピオンシップは、
ややカカリ気味に中団前目。直線ではいつもの伸びは無く、
後方から外を豪快に伸びたパッシングショットに切れ負けし2着。

続く第24回スプリンターズSでは、
再び後方からの競馬に徹し、
直線は馬群を割って豪快に伸びて勝利。
日本レコードでした。
この勝利が評価され2年連続で最優秀スプリンター受賞。

翌年も現役続行するも、
安田記念で不利がありながらもダイイチルビーの3着に入るも、
力の衰えは隠せず引退・種牡馬入り。

種牡馬となるも地味な血統が嫌われてか人気は出ず、
わずか38頭の産駒しか残せず、種牡馬引退。

その血はホボ残せなかったものの、
同じ時代に生きたライバル達よりも長く生き、
幸せな余生を過ごせたのではないでしょうか。

最近、名馬の死が多いですが、
バンブーメモリーに関しては大往生と言って良いでしょう。

 

 

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