ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ⑦」
第6話 ← ●
~最後の戦い~
凱旋門賞の裁定が下される前に、
ディープインパクトは登録していた天皇賞・秋を、
間隔が短すぎるという理由で予定通り回避。
栗東トレセンに戻った。
正式にジャパンカップから有馬記念のローテーションで
引退することが決定した。
このジャパンカップにおける陣営の気合いは言うまでもない。
ここで負ければ「薬のおかげで」というレッテルが貼られる。
池江敏行調教助手には、3冠がかかった菊花賞や凱旋門賞等とは、
また違うプレッシャーを感じる日々が続いた。
ジャパンカップ2週前に池江敏行が跨りDウッドコースを
6ハロン80.9-12.7で走り抜けた。予定のタイムより3秒速い。
ここしばらく見せなかった「体内時計を狂わす」素晴らしい走りだった。
1週前と本追いきりでは武豊が2週連続騎乗。
1週前には同じくDウッドコースを77.7-12.5と抜群のタイムで走り抜ける。
本追いきりでは単走で78.2-12.4。
いずれも、当日Dウッドコースの1番時計を掲示。
万全の態勢でジャパンカップに挑むことになった。
さらに、陣営はジャパンカップ、有馬記念まで
一切の治療行為を行わないことを決めた。
フランスでの一見以来、獣医に診てもらう事はなかった。
調教後、筋肉疲労の回復のため通常は電気針や注射を打つのだが、
この期間、市川厩務員が昔ながらの「手」によるマッサージを行った。
「自然の状態のままで勝つ」
陣営の意地だった。
第26回 ジャパンカップ
会場に詰めかけた12万人の観客はジャパンカップに出走する馬の、
馬体重が発表さえた時、ざわついた。
ディープインパクトの馬体重が436kgと過去最低体重だった。
ただ、圧倒的パフォーマンスだった天皇賞・春が438kgだったし、
きちんと飼葉を食べ、しっかり調教ができた上での馬体重だったので、
陣営はまったく気にするそぶりはなかった。
ここでジャパンカップの出走馬を見てみる。
出走馬は11頭。
2番人気は国内で唯一負けたハーツクライ。
昨年同レースをレコード同タイムで2着だったことも有り、
ディープインパクトに再び土をつけるか注目された。
3番人気はL.デットーリ鞍上のウィジャボード。
世界中を飛び回り結果を出し続けた歴史的名牝である。
4番人気・5番人気は、この年クラシックの主役だったメイショウサムソンと
ドリームパスポート。若武者が、ディープインパクトにドコまで通用するか。
その他、コスモバルクやスウィフトカレントなど重賞戦線でおなじみの顔ぶれが揃った。
小雨が降りしきる中スタートが切られた。
「いつものごとく」ユッタリとスタートを切ったディープインパクトは、
最後方の定位置につけた。レース前からディープインパクトを徹底的に
マークしたかったウィジャボード鞍上のデットーリは、ディープインパクトの
後ろにつけたかったのだが、武豊がそれを許さず仕方なしにディープインパクトの
1歩前に位置づける事になり、逆にディープインパクトがウィジャボードを
マークする形になる。この時点で、武豊はすでに標的はウィジャボード、というより、
鞍上のデットーリを恐れていたのかもしれない。
1000メートルを1.01.1とスローペース。
4コーナーに進入したところで鞍上からゴーサインが出る。
すぐに反応した。ディープインパクトが上がってくるのを確認して、
追い出しに入ったウィジャボードを内に閉じ込めるように直線へ入り、
大外に持ち出して、前を行く他馬をドンドン抜いていく。
実はこの大外というのには理由があった。
ディープインパクトは併走すると、どうしても他馬の走りに
合わせようとするのだ。この事は弥生賞のアドマイヤジャパンとの
競り合いで僅差になったことから判明し、それ以降できるだけ、
ディープインパクトは他馬と併せる事の無い戦法をとり続けた。
だが、凱旋門賞では先行したことが災いしレイルリンクに併走され、
結局は競り負けという形で敗れてしまった。
ディープインパクト唯一の弱点と言っても良い。
よってココでも、大外を豪快に走り抜け、
先行して直線で内に潜り込み先頭に立ったドリームパスポートが
必死に粘るも、最後は流す余裕を見せてゴール。
勝ちタイムは2.25.1。
ディープインパクトの上り33.5とメンバー最速。
4コーナーと直線で進路ロスがありながら3着に追い上げたウィジャボードの
33.9が2番目に速いタイムで、全体の上りは34.3。
ディープインパクトの飛ぶ走りが帰ってきた。
凱旋門賞からココ2か月、さまざまな出来事があったものの、
この勝利で、それらすべての苦労が報われた瞬間、
陣営スタッフは涙した。
競馬関係者・競馬ファンの万感の思いが詰まった東京競馬場をあとにし、
いよいよ、ディープインパクト最後のレースが近づいていた。
第51回 有馬記念
2006年12月24日、12万弱の観衆を集めた中山競馬場で、
第51回有馬記念が行われた。
ジャパンカップからこの期間までの調教もすこぶる順調で、
お釣りを残す必要もなかったため、陣営は完全な仕上がりを施した。
この日の第6レースのホープフルステークスで、
ディープインパクトの半弟(父アグネスタキオン)であるニュービギニングが
後方から直線大外を豪快に伸びて差し切り勝利。
「新しいはじまり」という名も相まって、スタンドから歓声が沸いた。
そこから2時間ほどのち、パドックから馬場へ入場するディープインパクトは、
いつもよりも落ち着いた感じで、最後のレースを噛みしめるかのように、
馬場をゆっくりと走っていった。
出走メンバーは14頭。
すでに勝負付けが済んだ馬ばかりなので、
ライバルという存在は無かったのだが、
接戦だった弥生賞や、届かなかった前年の有馬記念。
もっと言えば、直線大きく出遅れた皐月賞。
ディープインパクトにとっては相性が悪いと言っても良い中山競馬場。
単勝1.2倍の支持を得たものの、どこか不安な面も見え隠れしていた。
しかしそんな不安を嘲笑うかなような走りを見せる。
ゲートが開き、ディープインパクトはいつものように後方につけた。
ダービー2着馬アドマイヤメインが単騎で大逃げをうつ。
縦長の展開で2周目に入る。
ディープインパクトはやや行きたがるそぶりを見せるも、
武豊は「まだまだ」とゴーサインは出さない。
3コーナーに入ると馬群が少しずつ詰まってきて、
逃げるアドマイヤメインと2番手集団との差は4馬身ほどになった。
ディープインパクトはまだ後方に待機していたが、
残り600mを過ぎたところで外に持ち出し、
馬なりのままポジションを押し上げる。
ココからは圧巻の内容だった。
4コーナーを、他馬とはまるで違うスピードでまくりあげ、
直線ではあっという間に先頭に立ち、ラストは手綱を抑えての勝利。
条件馬のグループにGⅠ馬が1頭紛れ込んだかのようなレース振りに、
観客は呆気にとられた。
引退レースで、とてつもない強さを見せたディープインパクト。
「今までにないくらい、強烈な『飛び』でした。」
「僕は今でもこの馬が世界一強いと思っています。」
と武豊自身が驚きを隠せないのと同時に、
コレで引退という寂しさも混じったコメントをレース後残した。
レース後、中山競馬場のスタンド前でディープインパクトの引退式が行われた。
とっくに日が落ちて証明がたかれる中、4コーナーから1コーナーへ歩いていく。
スタンドを埋め尽くした観客から無数のフラッシュが焚かれた。
幻想的な光景が繰り広げられる中、馬道にその馬体をおさめた。
通算成績 14戦12勝(2着1回、失格1回)
獲得賞金 14億5455万1000円(史上2位)
GⅠ勝利 7勝(史上タイ。全て異なるレースは史上初。)
全てのレースで1倍台の1人気。国内の全てのレースで上り3ハロン1位。
まさに、ゲームの中の馬が現実に現れたような成績を残し
ディープインパクトの短くも太い2年間の競走馬生活は終わった。
~種牡馬生活~
ディープインパクトは有馬記念の翌日12月25日、
中山競馬場から社台スタリオンステーションへと旅立った。
ここからディープインパクトは新たな舞台へと突入する。
初年度の種付料が1200万円。新種牡馬としては破格の値段だったが、
国内外から種付申し込みが殺到した。
ディープインパクトが種牡馬入りし2013年4月現在、
3世代のディープインパクトの子供たちがデビューした。
ある意味、競走馬時代よりもシビアな世界。
特にディープインパクトの父であるサンデーサイレンスの血は、
現在の日本では飽和状態。
サンデーサイレンス系種牡馬も多く繋養されているため、
それらの種牡馬たちとの熾烈なな競争が始まる。
そんな中、2013年4月時点でのディープインパクト産駒の成績は、
451(1着)-340(2着)-304(3着)-1853(着外)
勝率15.3%、連対率26.8%、複勝率37.1%
と、なっている。
種牡馬リーディング上位のキングカメハメハとアグネスタキオンの
同期間での産駒成績も比較してみてみよう。
キングカメハメハ
711-586-611-4621
勝率10.9%、連対率19.9%、連複率29.2%
アグネスタキオン
439-393-403-3473
勝率9.3%、連対率17.7%、複勝率26.2%
新種牡馬は分母数が少ないので、
好成績になりやすいとはいえ、かなりの成績だ。
さらに、初年度産駒の2歳勝利数が41勝。
サンデーサイレンスが持っていた31勝を大幅に更新。
12月25日のラジオNIKKEI杯2歳Sでダノンバラードが勝利し産駒初の重賞制覇。
産駒出走初年度の好獲得賞金も、サンデーサイレンスの記録を抜き、
2010年度の2歳リーディングサイアーに輝く。
2011年にマルセリーナが桜花賞を制し産駒のGⅠ競走およびクラシック初制覇。
安田記念ではリアルインパクトが3歳馬として初の同レースを制覇する快挙達成。
同年10月22日には史上最速で産駒がJRA年間100勝達成。
JRAのサイアーランキングはキングカメハメハに次ぐ2位だったが、
2歳部門は、2年連続でリーディングサイアーに輝く。
2012年ジェンティルドンナが牝馬3冠を達成し、史上初の父仔3冠達成。
さらにジャパンカップを3歳牝馬として初めて勝利し、
史上3組目の父仔ジャパンカップ制覇。
ディープブリランテがダービーを制して史上7組目の父仔ダービー制覇。
産駒はJRAで216勝を挙げ内国産馬のJRA年間勝利数記録を塗り替える。
最終的に重賞18勝をあげ2年目にしてリーディングサイアーに輝く。
2歳部門の種牡馬デビューから3年連続リーディングサイアーは、
父サンデーサイレンスをも無しえなかった記録。
2013年アユサンが桜花賞を制したことにより、
同一種牡馬の産駒による3連覇を達成。
(桜花賞に関しては2年連続でディープインパクト産駒が1・2着)
2013年現在も快進撃を続けている。
こうして、池江厩舎に入厩した当初から『衝撃』の連続だったディープインパクトは、
今なお、その伝説を積み重ねていく。
自身が残してきた忘れ物を、子供がなしとげる夢を見て。
第6話 ← ●
<参考文献>
『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』
最高です。読んでいて涙が出そうになりました
現役時代は残念ながら生で見ることがありませんでしたが
社会現象になり、当時中学2年生の男子生徒が自殺した時の
「生まれ変わったらディープインパクトの子供になって最強になりたい」の遺書は当時学生だった自分にはとても印象的でした
キズナがダービーを勝利してダービー2連覇達成。秋には父の忘れものを取りにロンシャンへ旅立ちますね
背中には父の敗戦で苦杯をなめた武豊。こんな絵になる馬は長い日本競馬史の中でも異例でしょう
追っかけとまではいきませんが熱烈なディープファンの自分としては、まずは長生きしてより沢山の産駒をターフに送り出してくれればと思っています
それから、ひょんなことで凱旋門賞を見に行く機会があったのですが、その際現地の日本人ガイドさんが、武豊騎手の裏話で
「凱旋門のディープは1~2コーナーでかかってしまい、それが原因で直線伸びを欠いてしまった」と仰っていたそうです
もう一度出走したら間違いなく勝てたとも話していたそうで、4歳での引退は相当堪えていたようです
長文になってしまい申し訳ありませんでした。最後にもう一度。
素晴らしい記事をアップしていただきありがとうございます
ぱんださん、こんばんは。
つたない文章ですが、お読みいただきありがとうございます。
参考にした書籍・DVD等には、このブログで書けなかったことが
まだたくさん載っています。
特に池江敏行調教助手の本は、ディープインパクトに直接関わっていた方だけに、
当時のディープインパクトの実情が詳しく書かれていて、
ディープインパクトファンの僕としては悶絶モノです。(笑)
凱旋門賞でいつものような競馬をしていたらどうなっていたのか、
それは武豊騎手だけでなく、あのレースを見ていた皆さんが思った事でしょうね。
その後のゴタゴタがあったので、ジャパンカップの勝利の瞬間は、
実際僕は泣きました。
ディープインパクトのレース振りは圧倒的な強さだったので
感動をすることはあっても、「泣く」という事は無かったのですが、
ジャパンカップだけは陣営の苦悩が伝わってくるような勝ち方だったので、
自然と涙が出てきました。
今年は父親の忘れ物を取りに行く初めての子供としてキズナが挑戦しそうですが、
これから何頭も海外のビッグレースへ送り込む活躍馬を残してほしいですね。