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ハクタイセイ死亡

1990年皐月賞(GI)などに優勝し、現役引退後は種牡馬として供用され、
種牡馬引退後は静内種馬場(北海道日高郡新ひだか町)に
繋養されていたハクタイセイ号(牡・26歳)は、10月28日(月)に
メラノーマが原因による腸閉塞で死亡しましたので、お知らせいたします。

~JRA発表~

ハクタイセイは第1次競馬ブームを巻き起こしたハイセイコーの子供。

ハイセイコーは、80年代のノーザンテースト輸入により、
ノーザンダンサーの血が広まる中、しぶとくその成績を残していくが、
80年代後半になるとさすがにその活力も衰えを見せ、
「終わった」と思われたところに生まれたのが、ハクタイセイです。

1989年小倉芝1000mで須貝尚介騎手(現・調教師)デビューし2着。
初勝利を挙げるのに5戦を要しました(ダ1400mでの勝利)。

初勝利後は、400万下・OP・重賞と、5連勝。
初重賞となった「きさらぎ賞」は須貝騎手にとっても初重賞制覇でした。
続く皐月賞では南井克己騎手に乗り変わり、
アイネスフウジンメジロライアン等の、後のGⅠ馬を退け、見事勝利。
ハイセイコーとの同一GⅠ親子制覇となりました。

父の果たせなかったダービー制覇で2冠を武豊騎手と挑むも、
父同様、その栄冠には届きませんでした。(5着)

その後、度重なる屈腱炎で復帰レースを走ることなく引退。

種牡馬として活躍馬を輩出することは無かったが、
静内種馬場で功労馬として過ごしていました。

芦毛馬はメラノーマに弱いと言われますが、
そんな中、26歳まで生きてこれたのは大往生と言えるかもしれません。

クラシックこそコンビは組めなかったが、
苦楽を共にした主戦騎手だった須貝調教師(元騎手)が、
天皇賞・秋を初制覇したのを見届けるかのように、
天国へ旅立っていきました。

 

 

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