オグリキャップ 「不世生のスーパースター③」
オグリキャップの快進撃より少し前、
古馬でも新たなスターが誕生していた。
タマモクロス。
7冠馬『皇帝』シンボリルドルフが引退した後の日本競馬界は
主役不在の混沌とした状態でした。
シンボリルドルフの実質国内引退レースとなった有馬記念で、
2着となったミホシンザンは能力も血統背景もスターになるには
十分の資質だったが、体調不良の中で行われた天皇賞・春を
激闘の末に勝利したものの、その代償は大きく、
その後体調が回復することなく引退となった。
ダイナガリバー、メジロデュレン、サクラスターオー、
メリーナイスと、活躍馬はでるものの、不調や故障で、
とても主役と呼ぶにふさわしいモノではなかった。
そんな中、突如として現れたのが葦毛馬タマモクロスです。
デビューも遅く(1987年3月)、初勝利までに3戦かかり、
3歳時のクラシックとは無縁。
その年の暮れまで自己条件戦をウロウロするレベルの馬でした。
しかし、11月に行われた藤森特別(400万下)で8馬身差の圧勝を
皮切りに、その年のダービー3着馬ニホンピロマーチや、
菊花賞2着のゴールドシチー、さらにはこの後有馬記念を制する
メジロデュレンがいた「鳴尾記念」を6馬身差の圧勝。
あれよあれよと、「天皇賞・春」「宝塚記念」の2つのGⅠ含む、
重賞5連勝で、秋のGⅠ戦線へと向かっていたのでした。
2頭の葦毛馬。どちらが強いのか。
競馬ファンの注目は、その1点でした。
~2頭の葦毛の怪物、初めての激突~
「第98回天皇賞・秋」
タマモクロスは宝塚記念からの直行でした。
タマモクロス自身が神経質な性格から、調整のし辛い面があり、
陣営もこれまで苦労の連続でした。
しかし、今回は満足いく仕上りで、
万全の状態で来れたと陣営も自信を持っていた。
対するオグリキャップも相変わらずの順調振り。
両陣営悔いのない出来での対決となりました。
ゲートが開き、タマモクロスの小原調教師は驚いた。
タマモクロスが2番手につけたのだ。
これまでもタマモクロスは先行したことがあるのだが、
最後で必ずバテてしまう苦い思い出があったからだ。
しかし、タマモクロスの鞍上南井騎手は冷静だった。
「今回逃げてペースを作るのがレジェンドテイオーなら、
スローになる確率が高い。それなら、この位置からでも、
タマモクロスなら最後まで持つはず。」
そんな考えが南井騎手を突き動かしたのだ。
対する河内騎手は普段通り、最後に差せるよう力を蓄えて、
レースを進めていった。
オグリキャップも河内騎手が支持する通り、
自分の力一杯の脚で、前を行くタマモクロスを捉えに行く。
しかし、その差は一向に詰まらなかった。
まさに、南井の作戦が見事に嵌ったわけだ。
「1馬身1/4」
オグリキャップがどうしても詰めることの出来なかった差。
公営時代からの連勝は「14」でストップした。
~ジャパンカップと別れ~
「天皇賞・秋」の敗退後、陣営はすぐに「ジャパンカップ」へと目標を定めた。
しかし、天皇賞の敗退の原因を「後ろ過ぎた」という結論づけた陣営は、
「今度は先行してみよう」という考えに行き着いた。
河内騎手は、常々オグリキャップの適正距離は「1600m」としていて、
「先行させると、おそらく最後は垂れてしまう」ということで、
最後の最後に力を発揮させやすいように、後方からの競馬を続けていた。
しかし、もう負けられないというプレッシャーと
傍目には後方からの競馬で負けたという事実から、
先行策に同意せざるをえなかった。
そんな陣営の気持ちを感じたのか、
オグリキャップはスタートから引っかかり気味に先行した。
しかし、3コーナーで囲まれてしまい、結局中団まで下がることに。
その上、直線では大外に回るしかなかった。
それでいて3着に入ったのだから、一定の力は示したものの、
河内騎手としては、到底納得いくものではなかった。
結果は中団から直線抜け出した抜け出したアメリカのペイザバトラーが、
一旦は先頭に立ったタマモクロスを差し返しての優勝。
オグリキャップは、勝つどころか再びタマモクロスの後塵を喫した。
レース後、落ち込む河内騎手にさらなる追い討ちが。
次走の「有馬記念」では岡部幸雄騎手に依頼することが決まった。
佐橋オーナーにとって、河内騎手の2度の失敗を許すことができなかったのだ。
しかし、当の河内騎手は、ジャパンカップはともかく、
天皇賞・秋までも失敗騎乗と言われるのは納得できなかった。
しかし河内騎手はオグリキャップの主戦から退いた。
以後、オグリキャップに二度と乗ることがなかったのはもちろん、
オグリキャップについてほとんど語らなかったのが、
この時の河内騎手の気持ちの表れであろう。
しかし中央転入後、慣れない環境の中、オグリキャップが
ココまで上り詰めたのは、河内騎手がジックリジックリと、
教えてきた結果であり、その功績は多大である。
河内騎手との出会いが無ければ、
おそらくここまでの活躍は無かったであろう。
そんな落胆と別れがあったジャパンカップは終わり、
ライバル・タマモクロスとの最後の対決が始まろうとしていた。
~激闘の末に一矢~
タマモクロスは、この有馬記念で引退が決まっていた。
つまり、オグリキャップにとっては「最強」の称号を、
手に入れるための最後のチャンスでした。
新しいコンビとなった岡部騎手は、河内騎手に負けず劣らずの名手。
オグリキャップの初の中山競馬場に不安を覚えた岡部騎手は、
陣営に、中山競馬場でのスクーリングを提案した。
スクーリングとは、競馬場で実際に競走馬を走らせて、
その競馬場に慣れさすための下見のようなものだ。
競馬場に慣れさすという事は非常に大事な工程ですが、
競馬場での追い切り及び、
トレーニングセンターと競馬場への輸送は、
競走馬にとってはかなりタフなスケジュールで、
片道だけで馬体重がストレスでマイナス10kgも
減らす馬がいるぐらいだ。
しかし、オグリキャップがトレーニングセンターに帰ってきて、
馬体重を計ってみると、マイナス2kgしか減っていなかった。
来れには陣営もあきれ返るばかり。
オグリキャップのタフさを改めて認識することになる。
対するタマモクロスは、前述のとおり神経質な馬だけに、
このようなスクーリングができるはずもなかった。
それどころか、トレーニングセンターについてから、
飼葉を口にしなくなったのだ。
激戦の疲れを見せなく元気一杯のオグリキャップと対照的に、
タマモクロスは1週前の追い切りを取りやめ、
当週も馬なりでの追いきりしかできなかった。
第33回有馬記念。
このレースはタマモクロス以外にもオグリキャップにとって、
怖い存在が出走していた。
まずは、サッカーボーイ。
函館記念でダービー馬メリーナイスに5馬身差の圧勝に加え、
マイルチャンピオンシップでも4馬身差の圧勝。
そして何より怖いのが、ジャパンカップで無念の降板となった
元主戦、河内騎手が鞍上という事だ。
中央では誰よりもオグリキャップの事について知り尽くしている男が
打倒オグリキャップに燃えているのは、オグリキャップ陣営にとって、
この上なく恐ろしかっただろう。
もう1頭がスーパークリーク。
春のクラシックは故障により出走かなわなかったが、
抽選で潜り込んだ菊花賞では実力を如何なく発揮。
5馬身差の圧勝劇だった。
そして鞍上には、若き天才武豊騎手が跨っていた。
レースが始まると、まずサッカーボーイに異変が生じた。
元々入れ込みやすい質だったが、今回はかつてないほど入れ込んだのだ。
ゲート内で暴れて前扉にぶつかり、歯が折れるほどの顔面強打。
河内騎手は、スタートから打倒オグリキャップの夢が潰えた。
状態が戻り切れないまま出走したタマモクロスは、
やはりレースでもリズムは戻り切れなかった。
好位につけれないどころか、最初のコーナーで最後方。
対して、オグリキャップは楽に好位に取り付けることに成功。
3コーナーから急激にペースが上がり、大外をタマモクロスが
捲ってくる。しかし、中団の外目でじっくり脚を貯めていた、
オグリキャップが、タマモクロスが来るのを待ってからスパート。
余力の差とでも言うべきか、オグリキャップとタマモクロスの差は、
詰まることはなかった。
体調が万全ではなかったにしろ、
「最強」の称号をついにタマモクロスから受け継いだオグリキャップが、
翌年の主役であることには間違いなかった。
<参考文献>
『2133日間のオグリキャップ』著:有吉正徳・栗原純一
『オグリキャップ 魂の激走』
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