ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ①」
「名は体をなす」というが、
ここまでその名の通りのイメージを植え付けた競走馬を僕は知らない。
ディープインパクト
2004年のデビューから2006年の引退までの2年間、
彗星のごとく競馬界に現れ、多くの「衝撃」を残し続けた1頭の競走馬。
低迷し続けていた競馬人気を(1度は)盛り返すことになるこの馬の物語を、
今回は書いていこうと思います。
~誕生~
2002年3月25日、北海道のノーザンファームで1頭の小さな鹿毛の仔馬が誕生した。
父はサンデーサイレンス、母はウインドインハーヘア。
コレから数々の記録を打ち立てていくこの仔馬を語る前に、
父と母について少し書いていこうと思います。
父サンデーサイレンスは、アメリカの競走馬。
名種牡馬ヘイロー産駒とはいえ、母系の知名度の低さ・活躍馬の少なさに加え、
脚が曲がっていたり、毛艶が悪く、気性も荒い。
購入したいという手は上がらず、結局生産者が知人との共同出資という形で引き取った。
追い討ちをかけるように、生死をさまよう疾病にかかったり、
サンデーサイレンスが乗った馬運車が事故を起こし重傷を負うなど、
(サンデーサイレンス以外の競走馬は全て死亡)
何かと、不運な幼少期を過ごすことになる。
しかし、競走馬として本格的に調教がなされていくうちに、
サンデーサイレンスの素質が開花。
今までの低評価をあざ笑うかのような快進撃をみせ、
3冠確実と言われていたイージーゴアを、
ケンタッキーダービー・プリネークスステークスと立て続けに撃破。
3冠最後のレースであるベルモントステークスこそイージーゴアに負けたものの、
ブリーダーズカップクラシックで再びイージーゴアに競り勝ち、
その年の年度代表馬となった。
引退後サンデーサイレンスは種牡馬となり、アメリカで1株25万ドル×40株のシンジケートが
組まれたものの、血統の悪さが仇となり株の購入希望者は3人のみで、
さらに、種付けの申し込みを行う生産者はわずか2人だった。
そんな中、社台ファームの創始者である吉田善哉がサンデーサイレンスの購入を打診。
当時経営難に陥っていたサンデーサイレンス陣営側は、やむなく売却を決意。
こうして、1100万ドル(約16億5000万円)で米国2冠馬が日本にやってくることになった。
種牡馬となってからのサンデーサイレンスは言うに及ばず。
初年度産駒からフジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシ、ダンスパートナーが
GⅠを奪取して以降、数々の種牡馬記録を塗り替えることになる。
2013年現在、サンデーサイレンスの孫の活躍馬も多数出現していて、
日本では確固たるサンデーサイレンス系が確立している。
母のウインドインハーヘアは英国馬。
サンデーサイレンスと違い、その血統背景には英国名門の血が
脈々と流れていました。
競走成績はエプソム(イギリス)オークスで2着に入るものの、
それほど目立った成績は挙げなかったが、
ドイツGⅠであるアラルポカルの勝利時には、
実はアラジとの子供を身ごもっていての勝利という、
日本では考えられないタフな肝っ玉母ちゃんでした。
この時の子供(グリントインハーアイ)が1勝もできなかったことから、
日本のノーザンファームへ売却されることになりました。
ちなみに、そのグリントインハーアイを含むウインドインハーヘアが
海外で産んだ4頭の牝馬は、全て日本に輸入されることになります。
その内の1頭がレディブロンド(父シーキングザゴールド)。
5歳(2003年6月)でデビューというのにも驚きだが、
そのTVh杯(1000万下)で勝利後、条件戦を破竹の5連勝。
デビューわずか3ヶ月ちょっとでスプリンターズSに出走し、
勝ち馬デュランダルの0.2秒差の4着と健闘。
しかしレース後、歩様に異常が見られそのまま引退。
わずか3か月半の現役生活だったとはいえ、
一部の競馬ファンに強烈な印象を残した快速牝馬でした。
ウインドインハーヘアが日本に輸入されて、さっそくサンデーサイレンスと配合。
そうして生まれたのが、ディープインパクトの1つ上の全兄ブラックタイドでした。
競走馬の兄弟の定理は母馬が同じ時のみを言います。
そして、母も父も同じ兄弟の事を全兄(ぜんけい)と言います。
逆に、母は同じでも父が違う場合半兄(はんけい)と言います。
そのブラックタイドは、500kgを超える雄大な黒鹿毛の馬体は
サンデーサイレンスの生き写しとも言われた競走馬。
デビュー戦は期待通りの圧勝。その後、勝ちきれないレースが続きましたが、
スプリングステークスで戦法を後方待機からの競馬にかえると、
直線で全馬をごぼう抜き。一躍、クラシック戦線に名乗りを上げることになりました。
本番の皐月賞では、前残り展開だっために不発。
その後故障を発生。復帰したものの、思った活躍はできずに引退しました。
3歳時の「この馬は、もう1つギアを持っている」という主戦だった武豊騎手の発言が、
弟によって証明されることになる。
そして、ブラックタイドに続いてサンデーサイレンスを
配合され生まれたのが、ディープインパクトだった。
奇しくも3月25日は父サンデーサイレンスと同じ誕生日。
ディープインパクトが生まれた5か月後にサンデーサイレンスが
病気により死亡したことを見ると、自分の後継が生まれたのを
見届けたかのような運命を感じないでもない。
こうして期待を込められて生まれた鹿毛の仔馬は、
雄大な馬体の兄とは違い、華奢でひ弱なイメージをもつ小さな馬体でした。
その馬体が災いしてか、当歳セリでは7000万円での落札。
一見、高額と思われるこの値段ですが、
それでもこのセールで落札されたサンデーサイレンス産駒の
牡馬14頭中9番目の値段。
当時のサンデーサイレンス産駒の高騰ぶりは今までにないものだった。
それでもディープインパクトの血統背景を考えると、
かなりの安値での取引だった。
落札者は兄ブラックタイド同様、金子真人。
金子はすでにクロフネ、トゥザヴィクトリー、キングカメハメハなど、
数々の名馬を所有する大馬主でした。
ディープインパクトは順調に馴致訓練が施されていくことになる。
ノーザンファームでディープインパクトに携わったほとんどの人間は、
この小さな馬が、日本競馬界を背負って立つような馬になるとは思えなかった。
もちろん素質が全くないというわけでは無い。
『最強』というイメージまでは湧かなかった。
ただ、体が柔らかくバネが尋常じゃないという事だけは一致していた。
体が小さいというので、担当は女性の方が良いだろうという事で、
調教スタッフの伊津野貴子が選ばれた。
そんな伊津野も、坂路コースでの調教中前の馬の泥が飛んでくると、
ピュンっと横に跳ねたりするなど、まるで猫のような動きをするのに、
驚くことが多かった。
性格は、他のサンデーサイレンス産駒同様やんちゃ。
小さな馬体でやんちゃな仔馬を、伊津野は非常に可愛がり、
ディープインパクトも彼女の声にのみ反応するなど、
本当の親子のような信頼関係を築いていた。
横手厩舎長も、ディープが人間を信頼し指示にきちんと従うようになったのは、
伊津野の力が大きかったと評しているほどだった。
大きな病気も怪我もなく成長していったディープインパクトは、
2歳の9月に栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩することになった。
● → 第2話
<参考文献>
『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』
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