ライスシャワー 「孤高のラストステイヤー③」
~期待~
ダービーで2着に入ったライスシャワーは
夏の間、大東牧場に戻りしばしの休息を得た。
スプリングS・皐月賞・NHK杯・ダービーと、
2か月ちょっとの間に4レースをこなした上に、
骨折上りという事もあり、牧場関係者にとっても、
非常に気を使うことになるが、
当のライスシャワーは至って元気で、
ゆったりとした牧場ライフを満喫した。
秋初戦はセントライト記念(中山芝2200)。
ダービーの出走馬はライスシャワーだけであり、
そのダービーで2着に入ったにも関わらず3番人気。
1番人気・2番人気は共に、夏の間に条件戦を勝利してきた馬だった。
ダービー2着馬よりも、夏の上り馬の方が評価が高かったのだ。
「ダービー2着はフロック」
これが、この段階でのライスシャワーの世間の評価だった。
さらに、セントライト記念と同日に行われた函館3歳S(現函館2歳S)に、
的場騎手がインターマイウェイの騎乗を決めたことにより、
急遽、騎手を田中勝春騎手に依頼することとなった。
的場は飯塚調教師に一応の断わりを入れ許しを得たのだが、
「ダービー2着馬を振った」という現実に飯塚の内心は穏やかでなかった。
なんにしても、秋初戦のセントライト記念。
ライスシャワーにとって、世間の評価を見返したい1戦となった。
レースはレガシーワールドがハナを切る。
戸山厩舎で小島貞博騎手。
そう、ミホノブルボンと同じコンビだ。
戸山が関西馬のこの馬を、あえてセントライト記念に出走させたのは、
ひとえにライスシャワーの力量を計りたかったからに違いない。
ライスシャワーは大外スタートから終始外を回される不利がありながら、
レガシーワールドを頭差まで追い詰める健闘ぶりを見せた。
先行した馬が脱落する中、逃げ切ったレガシーワールドも強かったが、
ライスシャワーもダービー2着に恥じないレース振りで秋初戦を終える。
大目標である菊花賞までに、もう1戦しておきたかった陣営は、
菊花賞と同じ京都競馬場で行われる京都新聞杯(京都芝2200)を選んだ。
このレースにはミホノブルボンも出走してくる。
鞍上は再び的場に戻った。
余談だが、セントライト記念でライスシャワーを
選ばなかったことに対して、飯塚が怒っているということを、
伝え聞いていた的場は、関西遠征の話が持ち上がった時、
飯塚から「忙しそうだから、向こう(関西)の騎手に頼むよ。」
と言われた瞬間に「自分が乗ります」と即答したそうです。
中間の調教もいたって順調で、春から一層たくましくなったライスシャワーに
的場も思わず笑みを浮かべた。
京都新聞杯は、芝2200m。
ミホノブルボンが単勝1.2倍の圧倒的人気。
ライスシャワーも、ようやく2番人気という高評価を得る。
しかし、ミホノブルボンの牙城を崩すのはそう簡単ではなく、
やはり精密機械のように逃げるミホノブルボンを、
ライスシャワーは捉える事が出来ずに2着に終わった。
端から見るとミホノブルボンの牙城崩し難しと言えるレースでしたが、
着差は「1馬身半」。
休み明けだったミホノブルボンだったとはいえ、
得意距離である相手と、距離不足であるライスシャワー。
それでも、スプリングSからココまで徐々に縮まってくる着差に、
背筋に冷たいものを戸山調教師は感じたのではないだろうか。
~第53回 菊花賞(京都芝3000)~
この年のクラシック最終戦は、シンボリルドルフ以来の無敗の3冠達成の瞬間を
今か今かと待ちわびる競馬ファンが京都競馬場に押しかけていた。
全国の競馬ファンも、完全無欠のミホノブルボンが3冠を達成すると確信していた。
ただ、ライスシャワー陣営だけは逆転への自信がみなぎっていた。
的場が1番心配していたキョウエイボーガンの出走が確定したことにより、
ミホノブルボンを破る青写真は仕上がっていた。
ゲートは開いた。
ミホノブルボンがいつものように好スタートからハナを切ろうとした。
しかし、ここまで普遍だった光景が変わった。
ミホノブルボンの前に1頭の馬がいるのだ。
キョウエイボーガン。
夏の上り馬で神戸新聞杯を勝利したものの、
京都新聞杯でミホノブルボンの2番手につけて大敗(9着)。
鞍上松永幹夫は、菊花賞では「大逃げをうつ」と公言。
これを聞いた的場には、ミホノブルボンのペースが多少なり狂うと
ライスシャワーにとって、さらに好条件が増えるため、
この松永の発言は心強かった。
そのキョウエイボーガンが公約通りに大逃げをうつ。
新馬戦以来の前に馬がいる競馬になったミホノブルボンは、
かかる仕草を見せるなど、あきらかな動揺を見せる。
3000mの長丁場で折り合いを欠いてしまうと勝利から遠ざかる。
そんなライバルの姿を離れた5番手から見ていたライスシャワーと
的場は至って冷静に競馬を進めた。
目標はミホノブルボン。ミホノブルボンにさえ先着すれば、
結果は後からついてくる。とにかく今は辛抱するところ。
キョウエイボーガンがさらにペースをあげ、それにミホノブルボンが
ついていき隊列は伸びていく。
しかし、さすがに飛ばし過ぎだったキョウエイボーガン。
2週目の3コーナーの下り坂で失速。馬群は凝縮していく。
4コーナーでようやくミホノブルボンが先頭に立つが、
そのすぐ後ろには、すでにライスシャワーが迫っていた。
直線に入り逃げ粘ろうとするミホノブルボンには、
いつもの二枚腰を発揮することができず、
逆に余力十分のライスシャワーは手応え抜群。
悲鳴めいた歓声がこだまする中、ミホノブルボンの外を
黒い馬体が抜き去っていき、ついに大きな壁だったミホノブルボンを、
ライスシャワーは乗り越えた。
ライスシャワーが世代の頂点に立った瞬間だった。
ライスシャワーと同じような手応えで上がってきたマチカネタンホイザを
最後まで交わさせなかったのはミホノブルボン最後の意地だった。
しかし、この激戦後しばらくしてミホノブルボンに故障が発症。
復帰をめざしていたが、繰り返し故障が発生。
ついには翌々年の1月に現役を引退。ライスシャワーとの再戦を
行うことなくターフを去ることになった。
3冠達成に執念を燃やした稀代の天才調教師戸山為夫も、
癌を患い1993年5月にミホノブルボンの動向を心配しながら、
永眠することになる。
1人と1頭の偉大なライバルを失ったライスシャワーは、
新たな強敵を探すことになる。
<参考文献>
『伝説の名馬ライスシャワー物語』著:柴田哲考
『ライスシャワー 天に駆け抜けた最強のステイヤー』
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