ライスシャワー 「孤高のラストステイヤー④」
~新たな挑戦~
3歳最強の称号を得たライスシャワーであったが、
世間の目は冷たかった。
それほど全国の競馬ファンが3冠馬の誕生に夢を見ていたのだ。
そん中、前年にミホノブルボンと同じく無敗で2冠を達成していた、
トウカイテイオーがジャパンカップで優勝した。
トウカイテイオーは皇帝シンボリルドルフ産駒で、
その強さから親子での3冠達成を期待されていましたが、
ダービー後、故障により菊花賞を回避。1年間の休養に入る。
復帰戦の大阪杯こそ大楽勝だったが、天皇賞・春で敗戦。
レース後再び骨折が発覚し休養に入る。
再復帰した天皇賞・秋では7着に敗れるも、次走のジャパンカップで、
並居る強豪を跳ね除け見事に優勝。
古馬最強を襲名し、競馬界のスターに返り咲いていた。
ライスシャワーの目標はトウカイテイオーに定められた。
トウカイテイオーも出走する有馬記念(中山2500)で、
今度は古馬との初対戦になる。
この年の(第37回)有馬記念は、トウカイテイオーを筆頭に、
どんな相手でも崩れないナイスネイチャ、葦毛の伝道者ホワイトストーン、
宝塚記念覇者快速メジロパーマー、菊花賞馬レオダーバン、
天皇賞・秋覇者レッツゴーターキン、名マイラーのダイタクヘリオス等、
多種多彩な顔ぶれでした。
そんな中ライスシャワーを含む3歳勢は、
セントライト記念でライスシャワーに先着したレガシーワールド、
ジャパンカップで5着に健闘したヒシマサルの3頭。
ライスシャワーの2番人気を筆頭に、上位人気に推されていた。
的場は、この中ではトウカイテイオーの力が抜けていると判断し、
トウカイテイオーを終始マークする作戦に出る。
しかし、そのトウカイテイオーが全く動かない。
さらにスタートも失敗したことにより馬群後方に位置づけているため、
マークのしようが無かった。
そんな的場の焦りを尻目に、いつものように先頭に立つメジロパーマーが、
スローペースの流れを作り、そのまま押し切ってしまったのだ。
レガシーワールドがハナ差2着に入るも、中団から後方に待機していた、
1~3番人気は総崩れ。波乱の結果となりました。
レース後、トウカイテイオーが再び骨折していた事が判明。
故障まで予測するのは不可能なわけだが、
的場の作戦は裏目に出た。
状態自体は菊花賞と変わらないかそれ以上の出来だった為、
この1戦はライスシャワーの今後の運命を変えていたかもしれない。
結果論ないし理想論かもしれないが、
「ここで勝利していてれば・・・」
と今でも思う事がある。
年が明けて、古馬となったライスシャワーは、
目標を「天皇賞・春」に定めた。
厩舎や牧場の悲願だったクラシックレースを
勝利することができた。
次の夢は、古馬の頂点を決める天皇賞を勝つ事。
そして春の天皇賞は3200mと、菊花賞を勝利しているライスシャワーには
1番チャンスがあるレースでもある。
陣営がココを選ぶのも当然だった。
しかし、それには大きな問題が1つあった。
この春の天皇賞を2年連続で勝利している馬の存在だ。
メジロマックイーン
オグリキャップが去った年の菊花賞の勝ち馬である。
祖父メジロアサマ、父メジロティターンが天皇賞を制覇して、
メジロマックイーンが翌年に天皇賞・春を制覇したことにより、
親子3代制覇という偉業を達成。
それだけでなく、4歳のジャパンカップ(4着)以外の出走した古馬GⅠは
全て連対(天皇賞・秋1位入線18着)するという強さ。
まさにこの時代の最強馬だ。
その馬が、天皇賞・春3連覇を目指して出走してくる。
中途半端な仕上がりで勝てるはずがなかった。
つかの間の休息の後、
年明け初戦は目黒記念(東京・芝2500)になった。
ここで的場は1番人気のマチカネタンホイザの
走りに合わせてレースを進めた。
菊花賞はキョウエイボーガンの逃げにより、
有馬記念はトウカイテイオーの出方を伺いながら。
つまり、レースを勝つために他馬の助けが必要だった。
そこで、今回は自分の走りでどこまで通用するか試走の意味も
含まれるレースになった。
ライスシャワーよりも1kg軽く、
東京競馬場も得意のマチカネタンホイザについていくことで、
より厳しいレースとなるが、それでも自力勝負することで、
ライスシャワーがもう1歩先へ進むためには必要な事だった。
結果、マチカネタンホイザの2着となったが、
一定の目的は達成されたので陣営としては満足のいく結果だった。
次は、日経賞(中山・芝2500)。
相手も手薄。的場としてはいかにして楽に勝つかが腕の見せ所だった。
2番手で進めたライスシャワーは3角から仕掛け始める。
端から見ると、格下相手に強引に打ち負かしたように見えたが、
的場曰く、3コーナーから仕掛けるほうが
馬に負担が少なくて済むという事だ。
現に、直線は1度もムチを使うことなく楽勝だった。
~天皇賞・春~
厳しいレースの後に、楽な競馬で調整も終了。
あとは本番までに、どこまで状態を上げていくかだけだった。
メジロマックイーンを倒すには、ただ上げるだけでは足りない。
「極限」にまで上げる必要がある。
飯塚調教師は連日美浦のダートコースで追いきりさせ、叩きに叩いた。
はたから見ると、
「馬を壊そうとしている」
と見られるぐらいの調教をライスシャワーに課した。
レースに出走するレベルの仕上がりはできていたが、
この調教により、限界を超えた仕上がりを陣営は求めた。
それにライスシャワーも応えた。
レース当日の馬体重が前走からマイナス12kg。
ただでさえ小さい馬体を、さらに絞り込んできた状況に、
ファン・マスコミ・解説者は戸惑った。
「痩せすぎか」「最高の仕上がりか」
そんな周りの評価に対して陣営は自信満々だった。
確かに馬体重こそ大幅に減っているが、
無駄な肉が根こそぎ落とされた馬体に、
ほとばしる気合いを見せているライスシャワー。
当日ライスシャワーを見に行った的場は、
あまりの変わりように驚いた。
目つきが異様に光り、頭を低く下げて、前脚をしきりに掻いている。
普段はおとなしく馬房に佇む姿とは正反対の競走馬に、
「馬というより猛獣。下手すると指や足を喰いちぎられる。」
そう思わすほどの気合いの乗り方だった。
これで負けたら、力負け。
陣営の腹は据わった。
ゲート入り時に軽い異変が起こった。
メジロマックイーンがゲート入りを拒んだのだ。
普段は頭のいい馬で気性も問題ないこの馬が、
何かに怯えるような仕草で鞍上のいう事を聞かない。
やっとの思いでゲートに入ったものの、
すでに最強コンビの流れに狂いが生じていた。
レースは大方の予想通り前年の宝塚・有馬記念の覇者メジロパーマーが
果敢に逃げる形。それをムッシュシュクルが追いかけ、
キョウワハゴロモと続き、そしてメジロマックイーン。
ライスシャワーはその後ろにつけた。
メジロマックイーンを見れる絶好の位置につけることができた。
3コーナーを過ぎてメジロマックイーンが
少しずづ押し上げていくのと同時に、ライスシャワーも上がっていく。
「馬体を併せれば勝てる」
中々、差が縮まらないメジロマックイーンとの差に焦りを感じながらも、
ライスシャワーと的場は必死に食らいついていく。
直線コースに入ってようやくメジロマックイーンに並ぶことができた。
あとはライスシャワーの独走。
メジロマックイーンの3連覇、武豊の5連覇の夢を打ち砕き、
半年前と全く同じ歓声がとぶゴール前を1着で走りぬいていった。
こうして古馬最強馬を打ち負かし、
この時の杉本アナウンサーの実況から、
ライスシャワーは「刺客」の名で呼ばれるようになる。
~スランプ~
激戦の天皇賞・春を終えてライスシャワーは大東牧場に戻り、
少しの間休息が与えられた。究極までに仕上げた馬体を、
宝塚記念まで戻すにはあまりにも時間が短かったためだ。
3か月ぶりに美浦に帰ってきたライスシャワーを見た飯塚調教師は、
「何かがおかしい」
そんな何気ない不安を抱いた。
元々レースでも調教でも闘争心で走る同馬に、
その兆候が見られないのだ。
調教のタイム自体は水準レベル。
でも何かが足りない。
確かに天皇賞・春の反動はあってしかるべきなので、
時間がたてば、闘争心ももどってくるだろうと、
この時の飯塚調教師は思うようにした。
しかし、ライスシャワーの闘争心が戻ってくることはなかった。
休み明け初戦のオールカマー(中山芝2200)は、
超特急馬ツインターボの競馬史に残る大逃げ劇に敗れ3着。
春・秋連覇を期待された天皇賞・秋(東京芝2000)では、
明らかに格下相手でチャンスだった同レースで、
押しても伸びることなく6着。
ジャパンカップ(東京・芝2400)では見せ場すらなく14着。
有馬記念では、トウカイテイオーの奇跡の復活劇に沸く場内の傍らで、
もはや見る影もない天皇賞馬が引き上げていった(8着)。
究極に仕上げた結果つかんだ栄光の代償はあまりにも大きかった。
年が明け、陣営が選んだ初戦は京都記念(阪神・芝2200)。
GⅠ2勝あげているライスシャワーにとって60kgの斤量を
背負わなければならない同レースに出走するのは、
決して好条件とはいえないが、「京都」という名前がついていることで、
少しでも良い方向に向かえばという苦肉の策だった。
結果は前年の菊花賞馬ビワハヤヒデの圧勝劇。
この年、1つ下の弟が偉業を達成するのだが、
ビワハヤヒデも、皐月賞・ダービーと2着。
天皇賞・秋で屈腱炎を発症し引退するまで、
1度も2着を外さない名馬だ。
そんな馬が前年度の天皇賞馬を、
完膚なきまでに打ち負かしたレースに、
世代交代の波と、ライスシャワーへの失望感が漂っていた。
それでも寝食を共にする川島厩務員は、
毎日ライスシャワーを励まし続けた。
言葉は通じなくても、「何とかしてあげたい」という気持ちは、
必ず通じるはず。そう川島厩務員は思い続けた。
次の日経賞(中山・芝2500)で、それまでの流れが変わった。
京都記念を過ぎたころからライスシャワーに、徐々にではあるが、
覇気が戻ってきている感じがしたのだ。
調教でも併走馬に食らいつく仕草が出てきた。
レースはツインターボの逃げで始まった。
ライスシャワーは4番手につけた。
3コーナーすぎてライスシャワーが仕掛け始める。
意味合いは違うが前年と同じ作戦だ。
的場の合図にスッと反応するライスシャワー。
これまでの凡走とはまるで違う手応えだった。
4コーナーでは先頭に立って逃げ粘る。
後方からステージチャンプとマチカネタンホイザが追い上げる。
ゴールでハナ差ステージチャンプに交わされたものの、
確かな復活を感じさせる1戦に、陣営は久しぶりに活気が戻った。
「コレなら」
と、前年と同じように天皇賞・春にむけてハードな調教が積まれる。
しかし、レース1週前ということろでライスシャワーに骨折が判明。
天皇賞連覇の夢は断たれた。
<参考文献>
『伝説の名馬ライスシャワー物語』著:柴田哲考
『ライスシャワー 天に駆け抜けた最強のステイヤー』
最近のコメント