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音速の末脚フサイチコンコルド死す

<2014年9月10日>

1996年の東京優駿(日本ダービー)で優勝し、
引退後においらせ町の太田ファームで
余生を過ごしていた名馬「フサイチコンコルド」が死んだことが9日、
ファームへの取材で分かった。
牧場主の太田雅史さん(48)は「頭がとてもいい馬だった。
亡くなって非常に残念」と惜しんだ。

ファームによると、フサイチコンコルドは6日に放牧した際に転倒し、
左後脚を骨折。自力で起き上がれなくなり、8日午後5時ごろに息を引き取った。
馬齢は21歳で、人間であれば約80歳に当たるという。

~デーリー東北新聞社~

 
フサイチコンコルドは1996年の1月に京都芝1800mでデビュー。
続けて、すみれS(3歳OP)も勝利し賞金額を加算し、
皐月賞への出走も可能でしたが、度重なる熱発により回避。

ダービーを目標に調整されることになりました。

時代はサンデーサイレンス時代が幕開けしていました。
この年も皐月賞で1~2着のイシノサンデーロイヤルタッチ
さらには素質の片鱗を見せながらも皐月賞は熱発で回避したダンスインザダーク等、
上位人気はサンデーサイレンス産駒たち。

フサイチコンコルドは2戦2勝馬とはいえ、伏兵馬扱い(7人気)でした。

迎えた第63回東京優駿

好位のラチ沿いでジックリ足を溜めるダンスインザダーク
それをぴったりマークするフサイチコンコルド

直線ダンスインザダークが先頭に躍り出て後続を離すかと思われたが、
やや伸びなあぐねる仕草。その一瞬の間に、フサイチコンコルドが差を詰めて、
一気に交わしきりゴール。

重賞未勝利ながら、
クリフジ以来53年ぶり、わずか3戦でのダービー馬となりました。

この直線の一瞬の転劇を見た実況アナのセリフから、
フサイチコンコルドは「音速の末脚」が代名詞になり、
その濃いインブリード(ノーザンダンサーの3×3)から、
同じく濃いインブリードで前年の欧州3冠に輝いたラムタラにちなんで、
和製ラムタラ」とも呼ばれるようになりました。

これで世代No.1の称号を手に入れたフサイチコンコルドでしたが、
その後も体質の弱さは改善されることなく、カシオペアSで2着、
菊花賞で3着と、期待に応える事は出来ずに引退。種牡馬入りとなりました。

種牡馬になってからは、多くのGⅡを勝利したバランスオブゲームや、
交流GⅠで大活躍したブルーコンコルドなど、アベレージは高くは無いものの、
自身と同じく大舞台に強い馬を輩出しました。

 
競走馬時代は、その馬名同様にアッという間に現れて、
アッという間に去っていきましたが、引退後はゆっくりできたようで、
事故による最後だったとはいえ、幸せな人生だったのではないでしょうか。

ラムタラと同じ年にこの世を去ったのも、何かの運命なのかもしれません。

 

 

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