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SS初年度GⅠ馬ジェニュイン死す。

<2015.1.19>

現役時代は1995年の皐月賞などGIを2勝し、
種牡馬としても活躍したジェニュイン(牡23)が19日、
放牧中の怪我で死亡した。

~ラジオNIKKEI~

 
サンデーサイレンス初年度産駒で、
皐月賞を勝利したジェニュインが死亡しました。

1994年10月岡部幸雄騎手を背にデビュー後、2戦目で勝ち上り。
体質が弱かった為、朝日杯は自重しゆっくり成長を促す事に。

セントポーリア賞を快勝後、皐月賞トライアル若葉Sに出走。
ラジオたんぱ杯3歳S勝ちで後のライバルとなる同父の仔タヤスツヨシと、
初めての対戦。

やや出負けしたジェニュインでしたがすぐに外から中団まで押し上げ、
先に仕掛け始めたタヤスツヨシを横目に外々を伸びて、
直線も追い上げるも逃げてセーフティリードを
保っていたルイジアナボーイとの差を詰める事は出来ず2着。
ところが、ルイジアナボーイはスタートして直線で内に切り込んだ事による審議で、
5馬身差をつけて逃げ切ったにもかかわらず最下位降着となりました。
ジェニュインは繰り上がりでOP勝ちとなり皐月賞へ向かう事に。

この年、サンデーサイレンス初年度産駒がデビューし、
SS時代の幕開けとなるわけでしたが、その1番手は朝日杯3歳Sと
弥生賞を快勝したフジキセキだったのは誰しもが感じていて、
少なくとも皐月賞とダービーはフジキセキが勝つものだと思われていた。

しかし、皐月賞を目の前にフジキセキは故障により電撃引退。
かつ、世代2番手とみられていたナリタキングオーも直前に取消。

世代のトップ2頭がいきなりいなくなった事で、
皐月賞は混戦模様を呈していました。

ジェニュインは3番人気、タヤスツヨシは4番人気でレースがスタート。

好スタートを切ったジェニュインは2番手追走。
ユッタリとした流れで一団のまま最終コーナー。
直線に入ってジェニュインが先頭に躍り出て、そのまま楽勝かと思われましたが、
内の馬群を割ってタヤスツヨシが猛追してくる。
しかし、なんとか凌ぎ切りGⅠ制覇。

これがサンデーサイレンス産駒のクラシック第1号となりました。

 
続く日本ダービーでは2番人気。
皐月賞の直線の内容から1番人気はタヤスツヨシでした。
好位の中を追走していたジェニュインでしたが、
直線に入り先頭に躍り出る。しかし大外からタヤスツヨシ
一気に抜き去っていきゴール前は余裕をもって勝利。
ジェジュインは一旦沈みかかるも、もうひと踏ん張りし2着を死守。

距離に限界を感じた陣営は秋の目標を、
菊花賞に向かわず天皇賞・秋に定めた。

京王杯AH2着、毎日王冠6着と強力古馬相手にも好走出来る事を確認し、
本番へと向かう事に。

いつものように好スタートを切ったジェニュインは2番手追走。
逃げるトーヨーリファールを交わし先頭に躍り出るも、
直線大外を最後方から追い上げてきたサクラチトセオーに、
ゴール前わずかに差し切られ2着に敗れる。

 
東京2000mで強力古馬相手に勝ち負けできたことで、
なんとかなると感じた陣営は、有馬記念に出走。
しかし、見せ場なく10着に大敗。
あらためて距離限界を示すことに。

明けて4歳(旧5歳)。中山記念、安田記念と好走するも勝ちきれず、
天皇賞・秋では休み明けもあってか、全く走る気を見せず14着。

 
ここ2戦乗り替わっていた鞍上を、
岡部騎手に戻し迎えた第13回マイルチャンピオンシップ

中団前目の外をついていたジェニュインは、
直線に入るまでジックリ足を溜める。
追い出されてからは逃げ粘るエイシンワシントンを交わし、
実に皐月賞以来1年半ぶりの勝利を挙げる事になりました。

 
翌年も現役を続けるも、安田記念の2着はあったものの、
3歳の頃の輝きは失いつつあり、連覇を狙ったマイルチャンピオンシップの
9着を最後に引退。種牡馬入りとなりました。

 
種牡馬入り後は、目立った活躍馬は輩出できませんでしたが、
父と似た漆黒の馬体で駆けぬいたレース振りは、、
SS時代の幕開けを示すのに十分な印象を残す馬だったと思います。

 

 

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