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ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 ③」

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~春のクラシック~

無敗のままクラシックへ突入の上、勝ち方が派手という事で、
競馬ファンのみならず、一般的にもディープインパクトの名が
浸透しつつあった。

しかし、弥生賞の勝ち方から、

「三冠の内、負けるなら皐月賞では?」

世間では、こんな雰囲気が渦巻いていた。

そんな世間の批評と裏腹に、前述のとおり陣営は、
弥生賞の勝ち方から、普通に回ってこれば、
同世代に敵はいないことを確信していた。

本追いきりではDウッドコースを6ハロン80秒3-11秒7を
「馬なり」で計時。想定したよりも速いタイムだった。
ココでも鞍上の「体内時計を狂わす走り」を披露したものの、
無理した時計ではなかったため、陣営も安心して送り出すことになった。

 

第65回 皐月賞

朝から多くの観客が中山競馬場に押し寄せ、メインレース付近になると、
普段は行き来の多いパドックでは、この日はファンが陣取って
入れ替わる気配がなかった。

そんな異様な雰囲気の中、入れ込む馬も出てくるが、
ディープインパクトも大きく首を振る仕草はあるものの、
発汗してどうしようもない、という所まではいかず、
早く走りたいという気持ちを前面に出している状態だった。

「負けるなら皐月賞」と思われながらも、
単勝1.3倍の1番人気。
GⅠレースでありながら、2番人気以降のオッズが10倍以上という、
圧倒的な支持を得る事になる。

順調にゲート入りされる中、16番のアドマイヤジャパンがゲート入りを嫌がる。
先に入っていたディープインパクトは、やや待たされる格好となり、
ゲート内で少し入れ込む仕草をした瞬間ゲートが開いた。
態勢が戸となわないままスタートを切ったディープインパクトは、
スタート直後につまずき、大きくバランスを崩した。

ノーリーズン

この馬の名が、競馬ファン並びに陣営と武豊の脳裏を
横切ったのは言うまでもない。
ディープインパクトと同じ池江厩舎と武豊のコンビで
1番人気に背負いながら、スタート直後に落馬し競走中止となった菊花賞。

しかし、ディープインパクトは鞍上を落としそうにながらも、
生まれ持っての天性のバネで立て直した。
だが、他馬より4馬身ほど出遅れたのは間違いない事実。
しかし、武豊の気持ちは落ち着いていた。
「まだ、2000mある」
ディープインパクトの卓越した能力を信じていたからこその余裕ともいえる。

向こう場面に入っても先頭のメジロマイヤーとは10馬身ほどの差。
そこから徐々にディープインパクトは外々からポジションを押し上げる。
4コーナー手前から武豊からゴーサインが出る。
直線に入ったところで、早めに動いたマイネルレコルト
外からアッサリ交わし先頭へ。内で追いすがるアドマイヤジャパンと、
ディープインパクトの後ろから伸びてきたシックスセンスを尻目に、
2馬身半の完勝。致命的な出遅れを考えれば圧勝と言っていい。

4コーナーで初めてこの馬のレースで武豊がステッキを入れたものの、
ゴール前では流すほどの余裕もあった。
(ちなみにステッキを入れたのは、ディープインパクト自体が
走るのをやめようとしたためと武豊は語っている。)

表彰式では、武豊が高々と人差し指を突き上げた。
20年ほど前、皇帝シンボリルドルフが皐月賞を勝利した際、
鞍上の岡部幸雄が表彰式でしたパフォーマンスを真似たのだ。

アクシデントがありながらも1冠目を手にした。

 

第72回 東京優駿【日本ダービー】

メジロマックイーンステイゴールドノーリーズンなど数々の名馬を
手掛けた池江泰郎調教師だったが、ダービーだけは勝つ事が出来ないでいた。
それだけに陣営のダービーに対する思いは強く、

「なんとか先生にダービーを。」

スタッフ全員が、このディープインパクトというチャンスを生かすべく、
細心の注意を持って調整していくことになった。
中でも調教でディープインパクトの背中に跨る池江敏行調教助手の
プレッシャーはすさまじく、体重が1週間で5kg落ちるという程のものだった。
メジロッマクイーンで同様のプレッシャーを受けていたにも関わらずだ。

そんなスタッフの思いを知ってか知らずか、
相変わらずディープインパクトはレース中でも見せる飛ぶような走りを、
調教中でも見せ、順調に本番を迎えることになった。

武豊も自身のホームページで、

「ダービー当日はとんでもない名馬になるかもしれないディープインパクトの
走りを見に来てください。見ておかないと後悔しますよ。」

と、勝利宣言とも取れる書き込みをしている。
競馬は何が起こるかわからない。
それを誰よりも分かっている名手が、ここまで言うのは異例だった。

レース当日の7時半の開門時(通常は9時)、徹夜組1990人含め7800人もの
競馬ファンが押しかけていた。最終的に14万人が来場することになるのだが、
ファンの興味はひとえにディープインパクトだった。

単勝倍率1.1倍。
単勝支持率73.4%。
73年にハイセイコーが記録した66.6%(単勝1.3倍)を大幅に塗り替える
ダービー記録となった。

皐月賞同様ダービーでもパドックは異様な熱気に包まれていた。
その中ディープインパクトは、他馬同様入れ込みがきつくなっていく。
これまで見せなかった「尻っ跳ね」をするなど、パドック場内を
どよめかせる場面も見られた。

馬場入りしてゲートに入るまでの間の輪乗りをしている時、
「早く走りたいのに、いくら待っても走らせてくれない。」
「それなら。」
と言わんばかりに、なんとディープインパクトはその場で寝ようとしたのだ。
輪乗りに飽きたのだ。

コレは、ディープインパクトに漏れずほとんどの馬が
嫌がる洗い場でも度々見られるフテ寝だった。

そんな茶目っ気を出しながらもゲート入りが始まると再び戦闘モードに入る。

ゲートが開き、若干立ち上がるような感じでスタートを
切ったディープインパクトは、後方3番手に位置取る事になった。

3コーナーを過ぎたあたりから内ラチ沿いを走っていたのを
外に出して馬なりのまま順位を上げていく。

4コーナーから直線に入って大外に持ち出す。
一緒に上がってきたアドマイヤフジニシノドコマデモとは、
全く違うスピードでグングン先団を飲み込み、前を走るのは1頭のみだった。

インティライミ
京都新聞杯でアドマイヤフジシルクネクサスコンゴウリキシオー
後方からロングスパートをかけて勝ちきった馬だ。
今回は好位のラチ沿いを上手く回ってきて、直線に入っても余力十分。
さらに脚を延ばして独走状態で逃げ切り態勢だった。

残り400mでもまだインティライミディープインパクトの差は5馬身ほど。
脚色衰えないインティライミの逃げ切りかと思われた瞬間、
ラスト200mでついにディープインパクトが並びかける。
(並びかけると言っても最内と大外でかなり開いているが)
並びかけるだけでなく、粘るインティライミを5馬身突き離す圧勝を演じた。

史上6頭目の無敗の2冠馬の誕生だった。

勝ちタイム2.23.3。
前年にキングカメハメハが記録したレコードタイ。
上り33.4は2番目に速かったニシノドコマデモよりも1秒速いものだ。
それでいてゴール前は皐月賞同様流す余裕。

2着インティライミと3着のシックスセンスとの差は2馬身半。
佐藤哲三騎手とインティライミのコンビにとって生涯最高のレースを
したにもかかわらず、ディープインパクトには勝つ事が出来なかった。

もはや、同世代に敵なし。

表彰式で、武豊は2本指を突き上げた。

悲願のダービーを制した池江泰郎泰郎及び、
そのスタッフ全員が涙を流した。
ひとえに池江調教師にダービーをもたらせた事と、
勝利しなければいけないというプレッシャーから
解放された安堵感からくるもだった。

「僕は、ずっとこういう馬を探していた」

勝利騎手インタビューで武豊が語った言葉だ。
数々の名馬に乗り続けた騎手の言葉だけに、
ディープインパクトが、いかに特別な馬だったかが伺える。

 

ディープインパクトは秋の大きな目標に向けて、
夏を越すことになる。

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<参考文献>

『ありがとう、ディープインパクト』著:島田明宏
『真相』著:池江敏行
『ターフのヒーロー15 ~DEEP IMPACT~』

 

 

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