ウオッカ 「府中を酔わす極上の切れ味④」
~海外挑戦~
年が明けてウオッカは4歳になった。
陣営はこの年の最初の目標をドバイのレースに出走する事に置き、
ドバイワールドカップ(ダ2000)、ドバイシーマクラシック(芝2400)、
ドバイデューティーフリー(芝1777)の3レースに登録したものの、
距離適性からデューティーフリーに出走するものだと思っていたが、
選出されたのはドバイシーマクラシックだった。
しかし、角居調教師は主催者側にデューティーフリーに変更申請し、
許可された。ある程度前目につけなければ勝負にならない海外競馬において、
シーマクラシックだと、どうしてもスタミナ面での心配があったからだ。
こうして正式にドバイデューティーフリーに出走が決まり、
そのステップとして選んだのは2月に行われる京都記念(芝2200)だった。
古馬になり斤量の恩恵もなくなり相手も強化される。
年明けからさらなるパワーアップを図るために、
1日坂路2本を消化するなど入念な乗り込みが行われていたころ、
同じくドバイワールドカップに出走を決め、そのステップとして、
フェブラリーステークス(東京ダ1600)に向けて調整がされていた
ライバル馬ダイワスカーレットにアクシデントが発生した。
「創傷性外膜炎のためフェブラリーSを回避」
調教中に右目を負傷したのだ。
これにより、予定していたドバイ遠征も白紙となった。
2月23日、京都競馬場。
4レースの新馬戦で超良血馬カジノドライヴが圧勝を見せ、
コレからのヒーロー誕生か?と思われたこの日、
ウオッカが古馬とし初めてレースに出走することになった。
1番人気は前年のダービーでウオッカに
煮え湯を飲まされたアドマイヤオーラ。
ウオッカは2番人気での出走だった。
大外枠(16番)から出走したウオッカはスタート直後、
やや外目に振れて後方からの競馬になった。
道中、度々行きたがる仕草を見せるも、四位騎手はなんとか制御していた。
ラスト600メートル手前、アドマイヤオーラが動いたところで、
ウオッカもその後方から一緒に外を動いていった。
直線も大外に持ち出し、アドマイヤオーラを追うが、
差は僅かに縮まっていたものの、交わしきれるほどのモノではなく、
6着に終わった。
古馬初戦で6着とはいえ勝ち馬から0.3秒差。
上り3ハロンのタイムは最速。
休み明けの分、反応が鈍かったという見方もでき、
陣営に有馬記念後のような暗さは無かった。
角居と谷水オーナーは相談した結果、ドバイでのウオッカの乗り手を
武豊騎手に依頼することに決めた。
ドバイワールドカップに出走するヴァーミリアンへの
騎乗も決まっていた上に、海外経験豊富な鞍上に託すことで
勝利への確率をより上げる為だった。
3月15日、ウオッカはドバイに向けて関西空港から飛び立った。
初めてナドアルシバ競馬場で調教が進められると、
今までとまるで違う環境に驚いたのか、ウオッカはしきりに物見した。
ただスピードに乗ってからは物見もすることなく、
落ち着いた大きなストライドで駆け抜けていき、
角居も鞍上の武豊も表情は明るかった。
フルゲート16頭中11頭がGⅠ馬というドバイデューティーフリーで、
ウオッカは12番枠に入った。
いつものように抜群のスタートを切り、外目の4~5番手につけた。
ここでも若干カカリ気味でレースを進めるも、手応え良く直線に入る。
一旦は先頭に立つも、逃げていたジェイペグに二の脚を使われ差し返された。
結局ウオッカは4着。
ただ、これまでのように後方からの競馬でなく、
前目につけての競馬で世界相手に惜しい競馬が出来たことは、
陣営にとって、大きな自信となった。
~復活~
帰国後、ウオッカは春の女王決定戦ヴィクトリアマイルに
出走する事が決まった。
このレースには大阪杯で並居る強豪古馬を退けたライバル、
ダイワスカーレットも出走予定だった。
他にもカワカミプリンセスなど先代の女王が顔を並べているのだが、
やはりウオッカにとって倒さなければならない相手は、
このライバル馬1頭だった。
東京競馬場で行われるこのレースなら、ウオッカにとって庭の様なもの。
今度こそリベンジを果たすことができるかと思われた矢先、
ダイワスカーレットが脚部不安を発症し春シーズンは全休することが決まった。
こうなると、ウオッカにとって敵は己自身と言いたいところだが、
そのウオッカも遠征帰りで、なかなか馬体が戻っていなかった。
ヴィクトリアマイル当日のウオッカの馬体重は、
デビュー来最低体重の478kgだった。
馬体重が発表されない海外戦を除き、
ウオッカが馬体重470kg台を計測したのは、後にも先にもこの時だけである。
第3回 ヴィクトリアマイル
ドバイから正式に主戦騎手を任された武豊は、
好スタートを切ったウオッカのポジションを徐々に下げていった。
馬群に入れる事で折り合いをつけさそうとしていた。
1000m通過が60.0というマイルGⅠとしては超スローな流れで、
馬群は凝縮されたまま直線へ向かう事になる。
直線に入って、各馬が手綱をしごく中、
馬場の外目に持ち出したウオッカ鞍上の武の手は動かない。
この所、ゴール前で止まってしまうレースが続いていたため、
ギリギリまで追い出しを待つ作戦に出たのだ。
それでも手応え良く前との差を詰めていくウオッカに、
ラスト300mを過ぎたところで、ようやく武のムチがしなる。
ウオッカは上り3ハロンをメンバー最速の33秒2を計測する切れ味を
見せることになったが、早めに抜け出していたエイジアンウインズが、
33秒4で伸びていたため、最後まで捉える事が出来ずに2着に終わった。
勝って当然のレースに負けてしまったが、
馬体減など万全ではない状態で、ココまでの競馬が出来たのは、
ウオッカの能力の高さをあらためて証明する結果となった。
次走は2週間後の安田記念(東京芝1600)に決まった。
主戦騎手である武豊は、このレースでこの年の高松宮記念を
制したスズカフェニックスに騎乗が決まっていたため、
岩田康誠騎手がウオッカの手綱をとることになった。
第58回 安田記念
1番人気は前年のマイルチャンピオンシップでダイワスカーレットと
差のない競馬で2着。安田記念前哨戦の京王杯スプリングカップも
完勝したスーパーホーネットだった。
ただ、ウオッカも同倍率4.1倍の2番人気。
3枠5番に入ったウオッカは、
開催最終週で馬場が荒れている内目も気にせず、
出したままなりの競馬をする作戦を岩田はとった。
デビュー戦以来の前目の競馬となったが、
ドバイデューティフリーで前目の競馬をして好走できた経験を、
ここで生かす時がきたのだ。
前年2着馬コンゴウリキシオーが速いペースでレースを引っ張る中、
ウオッカは先行勢の内目5番手を折り合いをつけて進んだ。
直線に入ると追い出しに入った岩田のゴーサインに
一気に反応したウオッカが、後続をみるみる離していく。
近走はゴール前で甘くなるウオッカだったが、
ラスト200メートルを切ったところで岩田がムチを叩くと、
さらに突き離してく。
2着の香港馬アルマダを3馬身半の差をつける圧勝劇だった。
「牝馬でこんな背中をしている馬に乗ったのは初めて。
今まで半信半疑だったことを申し訳ないと思い、
ウオッカを信じてレースをしました。」
地方競馬からの叩き上げから
中央のトップジョッキーとなった岩田騎手でさえ、
ウオッカの非凡な才能に脱帽だった。
前年のダービー以来の1年ぶりの勝利。
谷水も角居も、この時のウオッカのレース振りが
今後のウオッカの分岐点になることを予感した。
ウオッカは前年大敗を喫した宝塚記念には出走せず、
秋の最初の目標である天皇賞・秋に向けて、
自厩舎で夏をゆっくり過ごす事となった。
そんな束の間の休養に入った頃、ライバル馬ダイワスカーレットの
秋のスケジュールが報じられた。
「天皇賞・秋には出走せず、エリザベス女王杯で復帰し秋は2戦のみ」
というニュースだった。
だが、8月末になるとダイワスカーレットの調子が、
思っていたよりも早く上がってきていたことで、
急遽、天皇賞・秋に参戦するかもしれないという報道が駆け巡った。
この天皇賞・秋にはこの年のダービー馬ディープスカイも参戦を表明しており、
新旧ダービー馬対決にも注目が集まることになった。
こうして、ウオッカ4歳の秋が始まろうとしていた。
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