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ウオッカ 「府中を酔わす極上の切れ味⑦」

第6話 ← ●

 
~惜敗という名の完敗~

安田記念の勝利後、
角居勝彦調教師は宝塚記念に参戦させようと思った。
海外遠征含めて4戦を消化して、
さらにもう1戦と厳しいローテーションではあったが、
ウオッカならそれも可能と思った。

しかし、谷水雄三オーナーは馬場の悪い時期に走らせることによって、
ウオッカが故障してしまう事を恐れ、回避することにした。

こうして、滋賀県にあるグリーンウッド・トレーニングに放牧に出され、
2週間後には角居厩舎に戻り夏を過ごすことになった。

秋は昨年同様、毎日王冠から天皇賞・秋へ行き、
ジャパンカップを目標とすることになった。

 
2009年10月11日 第60回 毎日王冠

単勝1.3倍という圧倒的な1番人気に推されてゲートは開かれた。

好スタートを切ったウオッカは、
他に行くうまがいなく押し出されるような形で先頭に立つ。
だが、以前のように折り合いの問題が幾分か解消されたウオッカなら、
先頭で走っても、ほとんど力む事もなく快調に走る事が出来た。

昨年も同レースでは逃げた形のレース運びになったが、
そのレースよりも自分に有利な遅い流れを自ら作り出し、
1000mを60秒0で走る事が出来た。

直線に入り武豊騎手の手綱は持ったままの手応えで、
ラスト400メートルまでさしかかった。
そこから追い出しに入り後続を突き離す。

ラスト200メートルに入ったところでムチを叩く武豊の後ろから、
内々を上手く回ってきた4番人気カンパニーが猛追してきた。

ゴール前でカンパニーが1馬身ほど出たところでゴール。

前年同様、伏兵馬の大駆けにやられたとはいえ、
今年は少し気にる点があった。

上り3ハロンのカンパニーのタイムが33.0。
10番人気のハイアーゲームが33.2。
他に33.4の馬が2頭。

道中スローな流れで折り合えていたにもかかわらず、
ウオッカの上りタイムはは33.8だった。

いつものウオッカならもっと速いタイムが出そうなものだが、
休み明けと57kgの斤量が響いたのか、理由は分からなかった。

 
第140回 天皇賞・秋

1年前に大激戦を演じた2頭のライバル馬は既にターフを去り、
残った前年度覇者は、史上初の天皇賞・秋連覇を期待され、
ウオッカは2.1倍の1番人気に推された。

ポンッと出たウオッカは徐々にポジションを下げ、
後方5番手まで下げる事になった。

前に壁を作り折り合いをつけやすい枠(7番枠)に入ったこともあるが、
一度叩かれたことにより調子は上がってきているものの、
前走の内容から、やはりウオッカの切れ味を生かすには、
後方から競馬を進めた方が良いという武豊の作戦だった。

そのウオッカの2馬身ほど前の内沿いをカンパニーが走っていた。

先頭を走るエイシンデピュティはマイペースの逃げを見せ、
1000メートルを59.8で通過。
GⅠレースとしては比較的緩めのペース。

昨年よりも1秒遅いペースに、後方にいたウオッカにとっては、
不利な条件下であったにもかかわらず、武豊は落ち着いていた。

直線の長い東京コース、ウオッカの走りさえできれば差し切れる。

各馬が4コーナーを回り、ウオッカも持ったまま直線へ入る。

好位を追走していたスクリーンヒーローが進路を内に取りながら、
先頭に出ようとする。
スクリーンヒーローが内に進路をとったことで、
ウオッカの前にいたカンパニーの前方が開けた。

対してウオッカは直線での叩き合いから脱落したマツリダゴッホが、
下がってきたことにより、一旦ブレーキをかける事になった。
進路をとり直し、再度内に切れ込み必死に追った。

ここでウオッカは上り3ハロンを32.9という極限のタイムを出すが、
カンパニーも32.9の同タイムで駆け抜けたため、
最後まで捉える事が出来ず、
カンパニー・スクリーンヒーローに次ぐ3着に終わった。

同じ相手に2度も負けた。

レース後、武豊は

「完敗です」

と、つぶやきを競馬場をあとにした。

 
~世界一~

陣営はさんざん距離不安説が飛び交う中、
3年連続でジャパンカップに出走する事を決めた。

さらに、鞍上はクリストフ・ルーメル騎手に依頼。
2002年から毎年のように短期免許で来日し勝利数を重ね、
日本でもなじみの外国人騎手だ。
2005年の有馬記念で国内無敗だったディープインパクト
唯一の黒星をハーツクライと共にあげ、
ジャパンカップも、そのハーツクライコスモバルクで、
共に2着経験がある名ジョッキーである。

「ウオッカはカカり癖がある」

このイメージを持たない白紙の状態の騎手で、
ウオッカに変わり身を期待した陣営の作戦だった。

ウオッカを世界一にしてやりたい
そのために打てる手段は、全てうつ。

角居も谷水も思いは同じだった。
 

11月29日 第29回 ジャパンカップ

ウオッカは3.6倍の1番人気。
2番人気は前年の菊花賞馬で天皇賞・秋でも4着と好走したオウケンブルースリ
3番人気はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを勝利し、
この年、ブリーダーズカップターフを連覇したコンデュイット

3強模様で行われた、この年のジャパンカップ。
角居はレース前、ルメールに好位につけるよう指示した。

その指示通り、5番枠に入ったウオッカは出たなりで、
前から4番手の位置につけた。

リーチザクラウン鞍上の武豊は強気にレースを引っ張り、
1000メートルを59.0という、やや速いペース。

好位の内でウオッカはジックリ折り合った。

4コーナーでギュッと縮まった馬群は直線に入った。

手綱を持ったままのウオッカは残り300メートルを過ぎたところで、
馬群の中央から一気に抜け出した。

「ダービーの再現か?」と思われたが、
4コーナーを回るときには最後方にいたオウケンブルースリが、
大外を豪快に追い込んでき、ウオッカとの差をみるみる縮めていく。

ルメールの激に必死に応えるウオッカ。
内田博幸の右鞭がしなるオウケンブルースリ。

オウケンブルースリがウオッカを捉えたところでゴール板を過ぎた。

まさに、前年この府中で行われた激戦のリプレイを
見るかのようなゴール前だった。

どちらが勝ったかわからない。

検量室前に戻ってきたルメールも、
「大丈夫?」
と首をかしげながら、1番の枠場にウオッカを入れた。

続いて、オウケンブルースリが2番の枠場に入る。

両陣営が固唾をのんで見守る中、判定が下された。

またしてもウオッカが2センチ先着していた。

この秋、ウオッカの調子自体は悪くなかった。
しかし結果が伴わない。

厩舎スタッフは、試行錯誤の連続だった。
中でも専属調教助手の1人である岸本教彦の重圧は大きかった。

ゴール後、カメラマンなどから「勝ってるよ」と言われてはいたが、
それでも結果が出るまで不安で不安で仕方なかった。

そして、3年目でようやく掴んだ世界一の称号に、
人目もはばからず泣いた。
岸本が泣くのにつられ、前年の天皇賞・秋の際岸本と同じ気持ちで
検量室前でウオッカと一緒に周回していた中田陽之調教助手含め、
厩舎スタッフの目は真っ赤になった。

 
これでウオッカは、史上最多タイのGⅠ7勝を挙げる事になった。
(交流GⅠも含めるとヴァーミリアンの9勝が最多)
日本の牝馬によるジャパンカップ勝利は初めてというオマケつきだ。

次なる目標は有馬記念だった。
自在性の出てきた今のウオッカなら、直線の短い中山コースでも
対応できるという判断だった。

だが、陣営にショッキングなニュースが飛び込む。
レース中に鼻出血を発症していることが判明したのだ。

規定により1ヶ月間はレースに出走する事ができないため、
有馬記念への出走は不可能となった。

この発表はレース後すぐに報じられたにもかかわらず、
有馬記念のファン投票は3年連続1位となった。

陣営はファンに対して申し訳なく思いながらも、
次なる目標を決めていた。

世界一を決定するレースの1つであるドバイワールドカップである。

前2年のドバイ遠征では芝コースであるドバイデューティフリー
出走してたが、この年からドバイワールドカップは、
メイダン競馬場に新設されたオールウェザーコースで行われる。

オールウェザーとは、砂や土と言ったコースの代わりに、
いろいろな化学繊維を混合したコースだ。
オールウェザーなら、芝を得意とする馬でも好走が可能。
これなら、距離はベストでなくても挑戦する価値はある。

との、判断だった。

さらに、このドバイワールドカップを最後に、
引退・繁殖入りし、そのままヨーロッパに行き、
2009年の欧州最強馬シーザスターズを種付する予定と発表された。

 
年が明け、ドバイワールドカップの前哨戦として、
同じオールウェザーコースで行われるGⅡレースの
マクトゥームチャンレンジラウンドⅢに出走する事になった。

同レースにはウオッカ・ダイワスカーレットの後を継ぐように現れた、
若き2強牝馬の内、レッドディザイアが出走。

2頭の新旧女王はお互いを助け合うように調教を重ね、
本番を迎える事になる。

鞍上は引き続きルメール

8番枠に入ったウオッカは出たなりで前から4番手の外目を追走した。
若干力みが入った走りだったものの、いつでも抜け出せそうな手応えで
直線に入った。

追い出しに入り、一瞬突き抜けそうな勢いだったものの、
ラスト200メートルを切ったところで急に失速。

逆に後方待機していたレッドディザイアが大外から一気に上がっていき、
前を行く馬達を抜き去っていき1着で駆け抜けた。

ウオッカはそのレッドディザイアから5馬身後ろの8着に敗れる。

急な失速で鼻出血の再発を疑った角居の考えは的中していた。

競馬場から厩舎まで馬運車で運ばれてきたウオッカを確認すると、
再び鼻出血を発症していたのだ。

角居はすぐに谷水に鼻出血の事を連絡。

角居が日本に帰国後、谷水と直接意見を交わしあい、
双方の意見は一致し、ウオッカの引退が決まった。

 
「ウオッカは最後まで僕にもう一工夫足りないよ。と、
謎かけを残し、次の馬で頑張ってよ。と、
満足させてくれないまま引退した。」
「難しい馬だから試行錯誤しながら調教し、
苦しいからチカラがつき、それが結果に結びつく。
最初から最後まで何かを教えてくれた馬だった。」

角居勝彦調教師はウオッカに出会ったことに感謝した。

 
念願だった親子ダービー制覇を達成した谷水雄三オーナーは、
ウオッカという馬生産する中でかけがえのない馬に出会えたことに、
満足したかのように、2012年1月ウオッカを産んだカントリー牧場を、
健康上の理由で閉鎖。

そして自分の勝負服を着て走る馬が世界の舞台で活躍するという、
新たな夢を愛馬に託し、谷水はウオッカをアイルランドに送った。

そして、2011年に産まれたシーザスターズとの初子となる牡馬(2歳)が、
現在、吉澤ステーブルで調教が進められている。
(角居厩舎入厩予定)

2012年・2013年も共にシーザスターズの牝馬を産み、
2013年はフランケルと配合するためイングランドに移動した。

 
通算成績:26戦10勝
中央獲得賞金:13億487万6千円 史上4位(2013年現在)
GⅠ勝利数:7勝 中央GⅠ最多タイ(2013年現在)
顕彰馬認定(2011年)

この内、東京成績が6-3-2-1。
唯一着外となったのはジャパンカップ(’08)の4着。

現役後半は東京競馬場かドバイにしか出走していなかったため、
こういった成績になるのは自然と言えるが、
オークス以外の東京GⅠ完全制覇するなど、
東京での抜群の強さが際立っていました。

「東京競馬場に愛され」とは言い難い”厳しさ”も受けたが、
厩舎スタッフの不断の努力で、その能力を如何なく発揮した、
府中を駆け抜ける1頭の名牝の姿は、いつまでも記憶に残ることでしょう。

 

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