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大穴列伝 「コレはビックリ ダイユウサク」

第36回 有馬記念

外を回る「葦毛」の馬体を見て、
誰もが『王者』のグランプリ制覇を確信した。

内から伸びる「鹿毛」のシルエットを見るまでは・・・。

 

1991年12月22日 中山競馬場。
この年の競馬を締めくくるグランプリレース有馬記念(芝2500m)。

前年の「葦毛の怪物オグリキャップ奇跡のラストラン」の記憶が
鮮やかに甦ってくるこの年、主役はまたもや「葦毛の怪物」だった。

メジロマックイーン

天皇賞・春で親子3代制覇したのち、
宝塚記念(2着)・天皇賞・秋(1位入線も降着で18着)、
ジャパンカップ(4着)と勝てはしなかったものの、
そのレース内容に、古馬最強を疑う者は無かった。

さらに、この有馬記念には、
本来なら勢いのある3歳勢である2冠馬トウカイテイオー
菊花賞馬レオダーバンの姿もなく(2頭とも故障中)、
メジロッマクイーンがどのように勝つかが注目の的だった。

単勝オッズ1.7倍は、その期待の表れであろう。

対して、ダイユウサクはというと、
体質の弱さで3歳秋にデビュー。
最初の2戦はタイムオーバーになるほどの大敗。
そのまま未勝利戦は終わってしまい、抹消寸前までいったが、
5戦目の4歳500万下でようやく初勝利。
そこからコツコツと勝ち星を積み重ねるも、
重賞勝利は、この年のスポニチ賞金杯(現・京都金杯、当時は芝2000)のみでした。

有馬記念の推薦枠(当時、JRAの推薦による出馬があった)に、
入るために本番の2週前に行われた阪神競馬場新装記念(OP)に
出走し見事に勝利をおさめ、念願叶い有馬記念に
駒を進める事になった。

しかし重賞実績が乏しいせいか、
単勝オッズは15頭中14番目の137.9倍

世間の低評価とは裏腹に、ダイユウサク陣営は、
中間の調子の良さが今までに無いぐらいだったことに、
ひそかな自信を持っていた。

「勝つまでと言はないが無いが、凡走は無い。」

こうして、第36回有馬記念はスタートが切られた。

まず3歳のツインターボがハナを切った。
(この時はまだ「大逃走」覚醒前)
そこに天皇賞・秋を繰り上がりで勝利し、
今度こそ正真正銘の王者になりたいプレスクラニーが続く。

メジロマックイーンは中団の中をユッタリ構えてレースを進めた。
ダイユウサクメジロマックイーンの後ろにつけていた。

一団のまま4コーナーに差しかかった。
プレスクラニーが先頭に立ったところで、
メジロマックイーンが王者の貫録を思わせるような走りで、
前を行く各馬を交わしにかかる。

直線に入ってメジロマックイーンが外から伸び、
あとは前を行くプレスクラニーダイタクヘリオス
交わすだけだった。

メジロマックイーンの勢いから誰もが葦毛馬の戴冠を確信した所、
直線に入って内に切り込んだダイユウサクが、
グングンと伸びてきて、メジロマックイーンと併走する間もなく、
一気にゴールに飛び込んだ。

王者メジロマックイーンと天才武豊を尻目に、
鞍上の熊沢重文が大きく右腕を突き上げた。

勝ちタイム2.30.6は、2003年にシンボリクリスエスが破るまで、
12年間レコードタイムとして残ることになる。

この後、ダイユウサク6戦して一度も
掲示板にすら載ることはなかったが、
苦労を重ねた33戦目で掴んだ大金星は今も語り草である。

 

着順 馬番 馬名 人気 単勝
ダイユウサク 14 137.9
メジロマックイーン 1.7
ナイスネイチャ 8.7
プレスクラニー 9.0
ダイタクヘリオス 32.2

単勝:(8)13,790円
複勝:(8)1,390円、(1)120円、(5)220円
枠連:(1-5)3,750円
馬連:(1-8)7,600円

 

 

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4 Responses to “大穴列伝 「コレはビックリ ダイユウサク」”

  1. もんど より:

    有馬記念と同年の最初の重賞、京都金杯勝ってますけどね

  2. 懐古人 より:

    >京都金杯

    これも正確には「金杯」です。

    中山金杯
    京都金杯

    と施行競馬場名付きになったのは1996年からで、
    それ以前はどちらもただの「金杯」でした。「名称
    が同じなので窓口で混乱する」のを理由に東西
    間の相互発売もなし。関東で京都の金杯の馬券
    は買えないし、関西で中山の金杯の馬券は買え
    ません。名称変更してようやく相互発売を始め
    ました。敢えて書き分けるなら、

    日刊スポーツ賞金杯(中山)
    スポーツニッポン賞金杯(京都)

    距離も芝2000m(京都が1600mになったのは2000
    年から)で変わりません。大レース以外で東西遠征
    する方が珍しい時代ですから、関東馬が京都の金
    杯に出たり、関西馬が中山の金杯に出るのは基本
    的に考慮されていないんです。

    皮肉なことに、「中山金杯」になって1回目の1996
    年は東京競馬場施行(1着はベストタイアップ、翌
    年の中山開催中山金杯も勝って連覇した)だったり
    するんですが。

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