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ミホシンザン、32歳で大往生。

<2014年12月4日>

1985年に皐月賞、菊花賞の2冠を制したミホシンザンが、
4日朝に亡くなった。32歳だった。

~sanspo.com~

 

ミホシンザンは3冠馬シンザンとナポリジヨオー(父ムーティエ)の仔。

この頃のシンザンは既に高齢で種牡馬としての役目を終えかけていた時代。
そこそこ活躍馬を出してはいたが、海外種牡馬が隆盛し出したことも有り、
その期待ほどの結果は得られていなかったシンザンでしたが、
晩年にようやくその後継馬といえる馬だったのがミホシンザン。

鞍上に終生のコンビとなる柴田政人を迎え、
4歳(旧表記)の1月のデビュー戦は圧勝。
続いて水仙賞を勝利し、スプリングSで朝日杯3歳S勝ち馬のスクラムダイナを
退け連勝し重賞初制覇。

3連勝で挑んだ皐月賞は、再びスクラムダイナ以下を5馬身離しての圧勝。

父仔2冠さらにはミスターシービー・シンボリルドルフと3年連続の3冠馬誕生かと、
期待されるも故障発生で無念の回避。

故障明けのセントライト記念こそ5着に敗れるも、
サクラユタカオーやスダホークが出走した京都新聞杯を楽勝。
菊花賞でもこれらの馬を寄せ付けず完勝。父仔制覇となりました。

次戦の有馬記念は皇帝シンボリルドルフとの初対戦。
4コーナー手前で前を行くシンボリルドルフに半馬身迫るが、
そこから力の違いを見せつけられ突き離されるも2着を確保。
古馬相手でも実力を見せました。

年が明けてシンボリルドルフが故障で引退し、
競馬界はミホシンザンが引っ張る事になると誰もが思ったが、
年明け初戦の日経賞は馬場が合わず6着。さらにはレース後骨折が判明。

主役を張るべき春シーズンを休養することになる。

秋は毎日王冠から復帰するも、同レース・天皇賞秋・ジャパカップ・有馬記念と、
全て3着。好走はすれども勝ちきれないレースが続きました。

年が明けて6歳(旧表記)になったミホシンザンは、
アメリカジョッキークラブカップに出走。
これまでの先行・差しの脚質を一転逃げの一手に出ると、
そのまま逃げ切り完勝。

続く日経賞では有馬記念で後背を喫したダイナガリバー以下を
5馬身突き離して楽勝。

結果的に最後のレースとなった天皇賞・春では、
直線で最内に切り込み一気に先頭に並びかける。
早め先頭に立っていたニシノライデンが粘りに粘り、
内・外を大きく開けて同時にゴール。

写真判定の末、ミホシンザンがハナ差で勝利。
(ニシノライデンは斜行により失格)

 
しかし、レース後の疲労が酷く、
ついには回復することなく引退が決定しました。

通算:16戦9勝(GⅠ3勝)

 
種牡馬入り後もNHK杯を制したマイシンザンなどを輩出するも、
全体的には低調な成績のまま2002年に種牡馬引退。

 
父と同様に30歳を超える大往生でした。

 

 

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